シカゴ日米協会80周年記念 若田光一宇宙飛行士講演会

「国際宇宙ステーション長期滞在飛行に参加して。
Stories From Space : International Space Station Mission

 1969年7月20日。アメリカの宇宙船「アポロ11号」から二人の宇宙飛行士が人類初めて月面に降り立ちました。この歴史的瞬間をテレビで見ていたある5歳の少年は、宇宙へのあこがれを抱き始めます。27年後の1996年1月、スペースシャトル・エンデバーに搭乗して宇宙に飛び立つクルーの中に、彼の姿がありました。少年の名前は、若田光一。夢の第一歩を踏み出した若田飛行士は、2000年にはスペースシャトル・ディスカバリーで2回目の宇宙へ。さらに2009年、ISS(国際宇宙ステーション)での4ヵ月半に及ぶ長期滞在ミッションを日本人として初めて遂行。アポロ11号からちょうど40年のことでした。

 去る6月19日の午後3時半から、ローリング・メドウズのホリディ・インにて日本総領事館・シカゴ日米協会共催による若田光一宇宙飛行士の講演会が催されました。日本人宇宙飛行士を間近に見られるチャンスとあって会場は開始30分前にはすでに満員御礼状態、用意された200席があっという間に埋まる大盛況ぶり。また大人に交じって夏休み中の子どもたちの姿も目立ちました。



写真提供:在シカゴ日本国総領事館
 同日の午前中にはシカゴの日本語学校を訪問して、約400人の子どもたちに日本語で講演をしたという若田さんは、おなじみのJAXA(宇宙航空開発機構)のブルーの制服姿で登場。小柄で柔らかな物腰からは、とても宇宙飛行士という激務をこなしてきた人物とは思えないほど。さっそく若田さんは後方の大画面モニターにスチールを映しながら、宇宙のしくみやISSの全体・内部構造、ISSで行った微小重力(マイクロ・グラビティー)細胞実験などについて次々と説明していきました。

 “宇宙ステーション”と聞いてすぐに「ガンダム」の“スペースコロニー<サイド6>”を想像してしまった私ですが(ちなみに若田さんとは同い年)、実際のISSの大きさはサッカーフィールドほど。電力はソーラー(太陽光)によってまかなわれており、地球の周りを90分で1周するペースで回っています。そのISSでの日常生活を紹介したビデオでは、仲間の宇宙飛行士たちとともに宇宙食で食事をとるシーンも。個々が多くのミッションを抱えているため普段はゆっくりと顔を合わす機会がないことから、毎日の夕食だけは必ず皆で一緒にとり大切なコミュニケーションの場にしていたそう。各国が開発した食事メニューの中では、特に日本の「さばの味噌煮」が大人気だったとか。また、長期生活において最も重要となるのが飲料水の安定確保。今回のISS滞在では尿を再生処理し飲料水を作ることに初めて成功、若田さんら長期滞在飛行士が乾杯でこれを飲む場面が映し出され、「水とかわらずおいしかった」という若田さんのコメントには会場から笑いがおこりました。

 さらに、食事と共に大切なのが毎日の運動。無重力生活で骨や筋肉が衰えるのを防ぐため、トレッドミル(ランニングマシン)や自転車漕ぎ装置、筋力訓練装置で毎日約2時間のトレーニングを欠かさず行っていたそうです。若田さんの居住空間(個室)には壁に固定された寝袋のほかパソコンや電源も完備。たまにカラオケやお習字を楽しんだりと、プライベートな時間を過ごすこともでき、とても快適だったようです。

 会場が一番盛り上がったのは、日本実験棟「きぼう」などで行われた「おもしろ宇宙実験」の映像。船内をカーペットに乗って移動する“空飛ぶじゅうたん”や、無重力での水鉄砲実験、二人が同時に前方回転してしまう“腕相撲”、ひとりで投げて打つ“ひとり野球”など、今まで見たことのない無重力での物体の反応に、子どもたちも興味津々で見入っていました。宇宙と地球とをつないでこのような映像が自由に交信できる現代の技術力につくづく感謝するとともに、アメリカ、ロシア、日本の宇宙飛行士が共に滞在する宇宙を当たり前に感じることができる時代に生まれた子どもたちを、うらやましく感じた瞬間でした。

 ビデオプレゼンテーションのあとは質問コーナー。「無重力から戻った瞬間はどんな感じ?」「なぜ宇宙飛行士になったのですか?」「MS(ミッション・スペシャリスト)のミッションとは?」など、参加者からの質問に若田さんがひとつひとつ丁寧に解りやすく答えていきました。今回の講演はすべて英語で行われたのですが、若田さんの英語はとても明瞭でわかりやすく、かつなめらかで美しいという印象でした。最後に若田さんは、会場に訪れていた子どもたちに「みなさんの中から将来、一緒に宇宙で働く人たちが出てくることを楽しみにしています」とメッセージをおくり、講演を締めくくりました。


子どもたちに向けたメッセージ〜「夢」「探究心」「思いやり」

 若田さんオリジナルのミッションロゴには、宇宙に対する想いを象徴する3つの言葉、「夢」「探究心」「思いやり」が記されています。これらの言葉は、次世代を担う子どもたちに未来に夢を抱きそれに向かってあきらめずに進んでいくことの大切さを伝えています。若田さん自身がまさにそうであったように。


    若田飛行士のミッションロゴ

「夢」
 宇宙は限りない夢を与えてくれる創造の空間。「きぼう」は人が宇宙を拓く「夢」を育む場。「夢」という目標を定めることにより、そこに到るための方法や手段が自ずと明らかになり、失敗してもあきらめずに努力すればきっと実現できるということを次世代を担う子どもたちに伝えていきたい。


「探究心」
 科学技術立国として発展するために、新たな知見を得、暮らしに役立つ技術に応用していくための探究心を大切にすることが不可欠。興味の対象に対してとことん考え抜き解を導こうとする探究心を育んであげる教育も重要。リスクは伴うが人間が宇宙に行くことで地球人全体が享受できる新しい知見や、地上での生活を豊かにする新技術が得られる。有人宇宙開発は人類が将来にわたり永続していくために、ゼロにはできないリスクを受け入れた上で取り組む価値のある仕事であるということを伝えたい。

「思いやり」
 宇宙開発は世界の人々と協力しあい(仲間への思いやり)、地球環境を守りながら(地球への思いやり)、地球人としての価値観と文化を育むことに貢献できる仕事。宇宙ミッションを安全かつ確実に遂行するための鍵は、構成員一人一人がチームの不可欠な一員として機能すること。仲間への思いやりはチームワークを高めていくためになくてはならない。また、「思いやり」という言葉を通して命の大切さを伝えたい。


講演終了後、若田さんにひとことだけお話をうかがうことができました。


― 若田さんはご家庭でも職場でも共に日本語ではない言語(英語)でコミュニケーションをされているわけですが(奥様はドイツ人)、違う文化や言語の人たちとコミュニケーションをとる上で一番大切なことは何でしょうか?

 まず相手の言うことをよく聞く。そして理解する、しようとするということですね。大事なのは、解った“ふり”をしないということ。解っていないということを相手に明確に伝えること、これは結構難しいですがとても重要なことです。ものごとを決して曖昧にしないことですね。

― 日本人はどちらかというと曖昧さを好みます。若田さんも曖昧にしたことで失敗されたことはありますか?


 今はアメリカ生活も長くなりコミュニケーションで失敗することはなくなりましたが、アメリカに来て間もない、まだ訓練生だった頃の最初の6ヶ月は言葉がわからなくて本当に大変でした。相手が言っていることがよく解らなくても、なんとなく解ったようなふりをしてやりすごしたりしていましたね。でもそれではいけないと気付いて、自分が解っていないときこそはっきりと伝えるようになりました。ISS計画には世界15カ国の人々が参加しており、滞在中は各国の地上運用管制局などと密にコミュニケーションをとっていかなければなりません。さらにロシアの宇宙船との連携もあって、英語はもちろんロシア語も共通語として必要になりますので言葉の勉強はやはり重要です。


取材後記 

 宇宙の限られた空間で、国やミッションの違うクルーたちと長期間生活を共にすることは、体力のみならず並々ならぬコミュニケーション力が必要になるはず。今回お話をうかがいながら、若田さんの内に秘められた強靭な精神力と、相手のどんな話にも耳を傾け解り合おうとする包容力を感じました。 それは、5歳のときに抱いた夢に向かってまっすぐに歩んできたという“人生にぶれのない強さ”が生み出したものなのでしょう。そのしなやかさこそが、宇宙飛行士に最も必要なことかもしれません。

 「“一個人・若田光一として”今後何を目標に進んでいこうとされているのですか?」という質問に、「次世代を担う子どもたちを初め、多くの方々に夢を広げていただけるお手伝いができればと思っています」と若田さん。その目はすでに、未来へ、子どもたちへと向けられています。「息子さんが将来宇宙飛行士になりたいといったら?」―もちろん応援しますよ、と答えたその表情は、“宇宙飛行士の若田さん”ではなく、ひとりの優しい父親の姿でした。

                  取材・インタビュー撮影 長野尚子



★若田 光一(わかた こういち) 宇宙航空研究開発機構(JAXA)所属・宇宙飛行士

写真提供:JAXA

■ 経歴 (JAXA ホームページより引用)
1963年  埼玉県大宮市(現在:さいたま市)に生まれる。

1987年    九州大学工学部航空工学科卒業。1989年、同大学院工学研究科応用力学専攻修士課程修了。2004年、同大学院工学部航空宇宙工学専攻博士課程修了。博士(工学)。
1989年    日本航空(株)入社。成田整備工場点検整備部、技術部システム技術室にて機体構造技術を担当。
1992年4月 国際宇宙ステーション(ISS)・「きぼう」日本実験棟の組立て・運用に備え、NASDA(現JAXA)が募集した宇宙飛行士候補に選ばれる。同年8月、米国航空宇宙局(NASA)が実施する第14期宇宙飛行士訓練コース参加。
(写真:JAXA)

1993年8月 NASAよりミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者:MS)として認定。NASA宇宙飛行士室においてシャトルアビオニクス検証、シャトルペイロード開発、ロボティクス・システム/運用技術開発、船外活動システム/運用技術開発、「きぼう」日本実験棟開発、スペースシャトル飛行再開に向けた軌道上熱防護システム検査機器開発等の業務を担当。

1996年1月 STS- 72ミッションに日本人初のMSとして搭乗。

1995年3月にH-IIロケットで打上げられた日本の宇宙実験観測フリーフライヤ(SFU)の回収、NASA OAST FLYER衛星の放出と回収、船外活動支援のためのロボティクス操作等の任務に当たる。

1997年8月 STS-85における「きぼう」搭載ロボティクス開発のためのNASDAマニピュレータ飛行実証試験ペイロード運用を支援。

1999年3月 NASDA技術試験衛星VII型(きく7号/おりひめ・ひこぼし)のロボットアーム遠隔操作実験に参加。

2000年10月 STS-92ミッションに MSとして搭乗し、日本人として初めてISS建設に参加。Z-1トラスと与圧結合アダプターPMA-3のISSへの取り付けおよび船外活動支援のためのロボティクス操作等を担当。

2000年12月 NASAロボティックス教官宇宙飛行士となる。

2001年10月 ISS長期滞在のためのアドバンスト訓練開始。

2006年7月 米国フロリダ州沖にある米国海洋大気圏局(NOAA)の海底研究施設「アクエリアス」における7日間に渡る第10回NASA極限環境ミッション運用(NEEMO)のコマンダーを担当。

2006年8月 ロシアでのソユーズ宇宙船フライトエンジニア訓練開始。航空機総飛行時間2100時間以上。

2007年2月 ISS第18次長期滞在クルーのフライトエンジニアに任命。

2009年3月 STS-119ミッションに搭乗。S6トラスのISSへの取り付けおよび船外活動支援のためのロボティクス操作等を担当。日本人として初めてISS長期滞在ミッションを開始。 2009年7月までの間、第18/第19/第20次ISS長期滞在クルーのフライトエンジニア、JAXA科学実験担当官、STS-119およびSTS- 127ミッションスペシャリストを担当。

2009年7月 ソユーズTMA-14での軌道上飛行を実施。

「きぼう」日本実験棟の最後の組立ミッションである2J/A(STS- 127)ミッションで「きぼう」船外実験プラットフォームを取り付け、「きぼう」を完成。約4ヶ月半の宇宙滞在を完了し、帰還。1996年、2000年、2009年の3回の宇宙飛行での宇宙総滞在時間は159日10時間46分5秒。


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