土屋隆氏インタビュー記事

 シカゴは、世界最大の商品取引所を有し、NYに次ぐアメリカ2位の大商業都市であるのは周知の通りである。そんなシカゴと日本をビジネスで結ぶ役割を果たしているJETROシカゴオフィスの土屋所長にお話を伺うことができた。

−シカゴへ赴任した経緯

 赴任は、2005年3月です。JETROは、日本政府の機関ということもあり、赴任に際しての大それたストーリーはないです。シカゴも、自ら選んだのではなく、組織の都合に従ったというところでしょうか。

JETROには、勤務中に3〜4回の海外勤務があり、今回は、3回目の海外勤務です。


 初めての海外勤務は、1985年から89年のニューヨークでした。その後、東京で勤務している間に東南アジアブームとなり1990年代初めには、企業が東南アジアにシフトしていきました。そういう背景もあり、2回目の海外勤務では自分としてはまたアメリカに行きたかったのですが、1997年から2000年までバンコクでした。

その後、再び東京で勤務し、今回、再度の海外勤務の時期が来たときには、逆に日本企業が大きく展開している最中である東南アジアの勤務を希望していたのですが、逆に第二希望のアメリカに決まりました。年齢的にポストがないと赴任できないという事情から、ポストが空くタイミングで赴任するという状況の中、所長のポジションは空きが少なく、たまたま、今回、アメリカで空席が出来たのがシカゴだったということです。そして、第二希望としていたので断る理由もなく、今回の赴任に至ったという訳です。

 アメリカは、インフラが整っているという背景もあり、現地政府に協力して産業を育てるといったダイナミックさはありません。バンコクにいたときには、ちょうどアジア経済危機の時期で、日本政府がIMFに資金を投入したり、タイ政府の中小企業育成政策を大使館、JETRO、JICA、国際協力銀行など在タイの日本政府機関が一体となり支援したダイナミックな仕事に携わることができました。一方、アメリカも、日本にとって一番大切な二国間関係であり、中西部には製造業を中心として日本企業も多数進出しており、シカゴ事務所の仕事は、とてもやりがいがあると思っています。

−シカゴのよいところ

 仕事上でのいいところは、シカゴにはグローバルな企業が適度な大きさで集積しているところです。例えば、ボーイング、ユナイテッド、クラフトフード、サラリー、モトローラ、アボット、バクスターなどフォーチュン500に名を連ねる企業です。しかも、シカゴでは、活躍しているトップの人の顔が見え、アプローチがしやすいというのがいい点です。例えば、NYを思い浮かべると、大企業が数多くあり、ビジネスコミュニティが大きすぎてトップの人の顔が見えづらいという印象があります。また、シカゴは海外の事情に関心を有しているビジネスマンが多く、国際的なイベントを行うと関心を集めることが出来、かつ、NYで行う場合と比べるとそうしたイベントはシカゴでの方が目立つという点もあります。

 また、レジャーの面では、劇場、ミュージカルやクラシック音楽などについて、NYほどにはバライティは無いものの一通りの最高級のものが揃っています。ジャズ、ブルース、クラシック、ミュージカル、シンフォニー、リリックオペラなどがダウンタウンに集積しており、アクセスもよいです。私も時々仕事帰りに立ち寄り、特に夏は野外のフリーコンサートなどを通じてそうした文化を楽しんでいます。

シカゴしか楽しめないというものは少ないですが、文化面での集積というのは、シカゴならではのよさであり、他にはないものであると思います。

−今までに乗り越えた障壁

 私は、楽観的なので、ひとつこれというものはないですが、印象的なのは、タイでの仕事です。経済危機の折り、日本関係の機関が知恵を出し合って支援をした際、自分自身は総務担当の次長でしたので直接の担当者ではなかったのですが、タイ政府と一緒になってオールジャパンでやったということに感激したのを覚えています。これをやったからタイ政府も更に日本に好意的になったという体験があったので、他の国でも同じようなことがしたいという想いがあります。

−仕事、人生で大切にしていること

 仕事、プライベートを通じての人との縁を大切にしています。

 私の卒業した東京外国語大学の同窓会も、シカゴにはなかったのですが、自分で昨年6月からいくつかの媒体を通じコミュニティーに呼びかけ、今では、外語大にゆかりのある人達8名の同窓会が出来ました。タイやNYでの勤務の際にも同窓会の世話役をしていましたが、タイでは60名程度、NYの時にも60名程度のメンバーがいました。シカゴは、それらに比べればとても少ないのですが、今回シカゴ支部として確立し、この8月に支部としての初会合も実現し、同窓会の会報にも掲載されました。

−余暇の過ごし方、趣味など

 夏のシカゴには、屋外の生活を楽しむようにしています。グラントパーク、ミレニアムパークやラヴィニアの野外コンサート、フェスティバルに家族で出かけたり、ゴルフをシーズン中は週一回くらいのペースでしたりします。ただ寒いのは苦手なので、ゴルフは4月末から9月の初旬までです。ゴルフに関しては、NYでは、あまりうまくなりませんでした。


タイでは、暖かいところでたくさん出来たので、パートナーに迷惑をかけない程度までには上達しました。シカゴのゴルフコースは、アクセスがよく、距離も60マイル以内で車なら1時間程度のところにたくさんあります。値段も日本に比べると安く、コースも変化に富んでいます。初めは、土地があるので、長くフェアウエィが広いだけのコースばかりかと思いましたが、実際は、長くてしかも狭いコースや起伏のあるコース、グリーンがうねっているコースなどたくさんの仕掛けがありとても楽しめます。やはり、ゴルフの本場ですね。但し、自分の年齢、体力、実力を考えると短いコースの方がよいという気持ちもあります。

 冬のシカゴには、何もないという印象がありますが、映画に関してシカゴは良い、と言えると思います。映画館へのアクセスもよく、料金も日本の半額くらいで、更に午前中だと5ドル程度だったりします。映画は、一人で行くときもあれば家族と行くときもあります。新聞での映画評論欄で星マークが多く、アメリカ人が好んでいると思われるものを中心に見ています。特にドキュメンタリーやサスペンス物が好きです。アメリカであまり評価が高くなかったと思われる作品でも、日本では売れたりしているものもあり、その状況については、誰か分析してくれないかと期待感を持っています。

 また、お酒は趣味だと思っていますが、ブランドや味にはこだわりがないので、飲みに行くのが趣味という感じでしょうか。

 その他、野球は結構好きです。会社でも草野球をやっていたのですが、テレビなどで見るとついついのめり込んでしまいます。昨年ホワイトソックスのワールドシリーズでの優勝を見てにわかファンになったのですが、最近はホワイトソックスの負けが続いているので、野球のテレビを見た後には私の機嫌が悪くなっている様子で、妻にも野球を見たのがすぐにばれてしまうといった感じです。

−今後やりたいこと

 仕事の面では、アメリカの企業に日本とのビジネスに関心を持ってもらうというのがここにいる最大の理由だと思っています。

 1985年から89年に、NYにいた際に、円の為替の大幅な切り上げがあり、1ドルが270円だったものが180円に急騰し、日本円の価値がでました。日本企業の進出やビルやゴルフ場といった不動産の購入など日米関係が急速に緊密化した時期でもあります。その頃には、日米でどんどんビジネスをしており、誰でもが日本とビジネスをしたがっていました。今は、その現象が中国とのビジネスで起きています。そういう経緯の中、米国の対日ビジネス観は、1980年代後半は、日本と競合し摩擦が生じて、日本を「バッシング(bashing)」、その後日本の景気が悪くなり、関心も下がり、日本を「パッシング(passing)」、そして、今では、中国に目を奪われてしまい、日本は「ナッシング(nothing)」になってきていると言われています。しかし、日本の景気は回復しましたので、アメリカ企業には世界第2位の日本市場で成功すれば、世界で成功できるということで、日本に関心を持ってもらいたいと思います。

 また、日本の今後の発展は、東南アジアとの関係が不可欠と思っています。シカゴにも、貿易・投資関係の外国政府機関が30以上ある中、タイ、マレーシア、フィリピンなどの東南アジアの関係機関があるので、こうした機関といい関係を創るよう努めています。

 日本での仕事は趣味とはいきませんが、シカゴでは仕事をしているのがプライベートの趣味みたいな物となっています。上司がいないので、自分で決めて、行動できるというマネージメントの自由があるからこそでしょうか。

−US新聞読者へのメッセージ

 異文化への関心を持ち、配慮をしてもらいたいと思います。

 私は思うのですが、アメリカで生まれた人は、ここで住んで仕事をする権利を生まれつき持っていますが、日本から来た人は、ゲストであり、アメリカに生活の機会をもらっていると、そしてこうした機会を得られたのは幸運なことだと。ですから、米国に対して感謝の気持ちをもって、そして、その気持ちを地元地域社会に示すこと、日本人社会に閉じこもることなく、ボランティアとまで行くと難しい面もあるかもしれませんが、少なくとも隣近所と交流することでこうした気持ちを伝える、といったことが大事ではないかと。

 せっかく、アメリカに住めるのですから、是非いろいろなことに関心を持って、生活を楽しんでいただきたいと思います。そして、自分の出来ることで、アメリカと日本との相互理解を深めることに一役買っていただくのは如何でしょうか。

土屋氏のお人柄により、ついつい面白いお話が続いてくる楽しいインタビューとなった。人や縁を大切にしている方なのだという印象が強い。

ビジネスでの交流は、日米間に影響するとても大きな要素であり、その間に立つ役割は、経済交流、異文化交流、文化の発展などさまざまな意味で、とても重要、且つ、常に必要なものである。今後も、そんな日米の経済のビジネスの流れの狭間に立ち、ご活躍をされていくことと思う。

2006年9月13日@JETROシカゴオフィス

文責:鴻田写真:藤河


■土屋隆(Takashi Tsuchiya)氏 略歴

現職:ジェトロ・シカゴセンター所長

主な経歴:
1951年10月 群馬県高崎市生まれ
1975年3月 東京外国語大学英米科卒
同年4月 日本貿易振興会(ジェトロ)入会、本部勤務
1981年4月〜85年4月 ジェトロ大阪本部勤務
同年4月〜89年4月 ジェトロ・ニューヨーク勤務
1989年9月〜91年8月 外務省北米二課出向
同年9月〜1997年3月 ジェトロ本部勤務
同年3月〜2000年8月 ジェトロ・バンコクセンター勤務
同年8月〜2005年3月 ジェトロ本部勤務(総務部業績評価課長、独立行政法人化準備室長、海外調査部情報企画課長)
2005年3月〜 現職

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