車椅子アスリート、副島正純選手講演会

「走ることは、自分を支えてくれたすべての人への恩返し」

“10・10・10シカゴマラソン”の興奮も冷めやらぬ10月13、16日の2日間、同マラソン車椅子の部で2年連続準優勝を果たした副島正純選手による講演会が、それぞれシカゴ双葉会日本語全日校(J-Powerとの共催)およびシカゴ双葉会日本語補習校(JALファミリークラブとの共催)にて行われました。副島選手が本校を訪れるのは昨年に引き続き2回目。多くの生徒たちが副島選手との再会を楽しみにしていた様子。そして去年の“約束”も・・・。「(去年は2位で終わって)『来年は一番で帰ってきます』と約束したんですがまた負けてしまいました。カッコ悪いね(笑)。また約束します。来年は必ず一番で帰ってきます」開口一番、副島選手はこう言って笑いを誘いつつも、悔しさにじませていました。


自分にかかわってくれる人すべてが大切な人
 集まった142人の子供たちを前に副島選手が語ってくれたのは、「怪我をしてから気づいたこと〜自分にとって大切なもの」について。23歳のときに家業である鉄工業の手伝い中に300kgの鉄板の下敷きになり脊髄を損傷、車椅子生活となった副島選手。「一生歩けません」と宣告されたとき、どん底から助ってくれたのが友達の存在でした。「検査が終わって病院から出てきたときに、最初に僕を囲んで勇気づけてくれたのが高校時代の友達でした。そのとき、こいつらが友達で本当によかったなぁと思いました。みなさんも、これから大きくなる中でできるいろんな友達を絶対大切にしてください。そして助けてあげられることを一生懸命してあげてね」

 さらに副島選手にとって大切なもの、それは昨年8月に亡くなった母親の存在でした。勉強が嫌いで高校を中退、暴走族になって迷惑ばかりかけていた頃の自分は、母が今までどういう気持ちで自分を育ててくれたのかなど考えたこともなかった、と。「僕が怪我をしたとき真っ先に病院に駆けつけてくれた母が、『生きててよかった』と言ってくれたときも、全然いいわけないだろと思ったし、『代われるものなら代わってあげたい』という言葉にも、じゃぁ代わってくれればいいのにとしか思えなかった。でも、去年その母がガンで死んでしまうかもしれないというとき、『僕が代わってあげられるものなら代わってあげたい』という気持ちが沸いてきて、初めて母の言葉の意味がわかった。でも遅かった。

 だから、みんなはそんな後悔をしないように、お母さん、お父さんともっと話をして、してあげられることをいっぱいしておいてもらいたいなと思います」。一言ひとこと、かみしめるような副島選手の言葉に真剣に聞き入る子供たち。思わず目頭を押さえるお母さんたちの姿も。

 亡くなる直前、副島選手に母が最後に残した言葉は「1時間18分大丈夫。私もあとから着いていくから」だったそう。これは、実際には200m長い距離で出したと言われるハインツ選手の持つ世界記録“1時間20分14秒”を誰もが認める記録で抜き去りなさい、という母からの最後のエール。「18分台の世界記録を出して『あなたの息子は世界一ですよ』と母に伝える」ことが、副島選手の最大の目標なのです。

僕はなんで走るのか?
 まず、走ることが大好きだから。小さい頃から体を動かすことが大好きだった副島選手にとって、車椅子マラソンは絶望の中でやっとみつけた希望の光でした。もうひとつの理由は、レースでいい結果を出すことによって、怪我で心配をかけた家族やすべての人たちに「僕はこんなに元気で楽しんでいるよ」と伝えることで恩返しがしたいから。「スポーツでも勉強でも遊びでも何でもいいから、みんなも自分の大好きなことだけは絶対にあきらめないで一生懸命やって、お父さんやお母さんに『ぼく、こんなにがんばっているよ!』と伝えてあげてください」

自分の“居場所”を確信したひとこと
 怪我をしてから「自分はなぜ生まれてきたのか」「生きなきゃいけないのか」についてもんもんと考えた時期もあった、と振り返る副島選手。車椅子マラソンに出会い、結果を出せるようになって次第に自信を取り戻していくなか、大きな転機となったのが2007年の東京マラソンでした。初優勝したことで名前が全国に報じられ、それをきっかけに高校時代の同級生からある手紙が届きます。「生まれつきほとんど目が見えない難病の次男坊が、副島君の走りを見て『僕もこんなに強くなれるかな』と言ったんです」。将来はサッカー選手になりたいという夢を持つその子のひとことに、副島選手は逆に勇気づけられたといいます。「競技と生活とのジレンマに悩んでいた自分がふっきれたし、やめずに続けてきた14年間が報われた気がした、と。「今まで人の役に立つことなんてなかったけれど、自分の走りが人に勇気を与えられると知ったとき、オレの居場所ってここだといいな、と初めて思ったんです」。

 副島選手からの熱いメッセージのあとは、子供たちからの質問コーナー。「レーサー(レース用の車椅子)の速度はどれくらい?(A:平均速度は時速28〜9km)」、「重さはどれくらい?(A:7〜8kgととても軽量)」といったテクニカルな質問のほかに、「あとで抜かれる危険をおかしてまで先行逃げ切りというスタイルを貫くのはどうして?」といった通な質問も。これには副島選手も思わず苦笑い。「簡単に言うと、馬鹿だからです(笑)。それしかできない。常に前を走り続けて最後に引き離して勝つ方法だと誰が見ても一番だと証明できるし、僕が最高にあこがれる形だから」  また、今までで一番心に残った試合は?との問いに2007年のボストンマラソンを挙げました。
「目標にしていたメジャーマラソンでの初優勝だったし、そこに自分の名を残せたことが本当にうれしかった。あれは最高のガッツポーズでしたね」。印象的だったのは、「今足が治ったら一番何がやりたいですか?」という質問。副島選手はしばらくう〜んと考えたあと、こう答えました。「僕は車椅子のレースがいちばんやりたいので歩きたいとは思いません(笑)」(会場から思わずえーっ?という声)「でもできるとすれば、全速力で100m走ってみたいな」次々と手を挙げて質問を浴びせる子供たちの勢いに驚きながらも、「ありがとうございます」と丁寧に答えていく副島選手。日本とはちがい自分を前に出す積極的なシカゴの子供たちの姿に感銘を受けたそうです。

  最後は、各学年から選ばれた子供たちが副島選手のレーサーに実際に乗って場内を1周。足を折りたたんだ前かがみの体制でハンドルやブレーキを扱うため、思わず壁にぶつかりそうになる子もいれば、上手にハンドルを切って拍手喝采を浴びる子も。この得がたい体験を通して、子供たちは今まで知らなかった車椅子マラソンを身近に感じ、しいては障害者競技全般にもっともっと目を向けるようになるはず。この日、副島選手のメッセージは、しっかりとシカゴの子供たちの胸に刻まれたのでした。

(左)副島選手からはユニフォームとともに「来年こそ!!一番」のメッセージが贈られました。
(右)全日校の生徒たちと。


■ 副島選手へひとことインタビュー

― 今年で40歳。特別な思いはありますか?

 今までは単純に世界で勝負したいとい気持ちでやってきましたが、この先現役が長くないと考えると「獲らなきゃいけない」と結果に焦ることは多いですね。この後いつまで続けられるか、現役でなくなったときに何を求めるかについてもよく考えます。当面の目標は2012年のロンドン・パラリンピック。そこで結果を出してひとくぎりつけて、次はマラソンだけではなくトライアスロンやサーフィンなど自分の中の楽しみとして競技に挑戦していきたいし、趣味も広げていきたい。そのためにもロンドンでひとくぎりつけないと次に一歩踏み出せないかな。年齢的にもまだまだ勝負できるし線をひくわけじゃないけれど、パラリンピックとしてはロンドンがくぎりと考えています。

―  子供のころに剣道をやられていたそうですが、その経験は今にどのように生かされていますか?
 小学校1年から高校2年までの11年間剣道をやっていましたが、それが多分僕の基本になっていると思います。僕がやりたいと言い出して始めたことだったので、おふくろは絶対に続けろといって熱があっても休ませてくれませんでした。勉強しろとは言われたことがなかったんですけど(笑)。剣道は結局1対1の競技なので、常に自分で努力しないと結果が出ないということを学びましたし、努力して勝つことの楽しさも知りました。市の大会では何度か優勝したこともあるんですよ。でも逆に負けたときは悔しくて、防具をはずさずに泣いていましたね。

― 今回のシカゴマラソン2位の結果についてはかなり悔しかったようですが。
 勝つつもりできていましたから。(優勝した)ハインツ選手はすごく尊敬している選手ですが、だからといって負けてもいいとは思っていませんし。今回はいろんなことをコントロールしきれなかったことが悔しいですね。実はここ最近、道のラフな海外のレースでパンクなどのトラブルが多かったので、今回は本番用ではなく練習用の厚めのタイヤのままレースに臨んだんです。そこで練習程度のパフォーマンスしか出せなかった、ということです。

― 日本と海外とで感じる、障害者アスリートに対する考え方の違いについて。
  日本は基本的にまだまだバリアフリーという考え方が遅れていると感じますね。でも僕たちがもっと表に出ることでそれを変えていければいいなと思っています。国内のマラソンでも僕らがコーディネートできる立場になると面白いと思うし。その点アメリカは非常に楽しいです。普通に接してもらえますから。

■■ 取材後記 
 障害者になってまでがんばっていることがすごいわけじゃない。僕はみなさんと同じひとりの人間として、目の前の自分の人生をどれだけ楽しめるかにチャレンジしていきたいんです、と言い切れる人。「自分は生き切った」といえる人生に全力で向かっている副島選手を、二人三脚で支える奥様、美幸さんの明るい笑顔も印象的でした。世界記録を出すまで禁酒中だそうですが勝利の美酒までもうあと少し。私たちもシカゴから風を送り続けます。

取材・文・撮影/長野尚子


■副島正純(そえじま まさずみ) プロフィール
生年月日 1970年8月31日
所  属  C's Athlete (シーズアスリート)
       (株)アソウ・ヒューマニーセンター
       障害者スポーツ選手雇用センター
出  身  長崎県諌早市(福岡市東区在住)

●略暦 
1994年7月  家業手伝い中の事故により脊髄を損傷。 車いす生活となる。
1995年11月 車いすレースを始める。
●主な車いすレース成績
1996年 初レース はまなす車いすマラソン大会(札幌)ハーフマラソン3位
2002年 アジアフェスピック釜山大会マラソン金メダル
2004年 アテネパラリンピック4×400mリレー銅メダル
2005年 JALホノルルマラソン2005優勝(大会新)
2006年 ソウル国際車いすマラソン大会2位 1時間26分31分(自己新記録)
     JALホノルルマラソン2006優勝(大会新・2連覇)
2007年 東京マラソン優勝
     ボストンマラソン優勝
     ソウル国際車いすマラソン大会(韓国) 2位 1時間22分17秒(日本新記録)
     IAAF世界陸上大阪大会 2位
     ベルリンマラソン優勝
     ニューヨークシティマラソン3位
     JALホノルルマラソン2007優勝(3連覇)
2008年 東京マラソン(車いすの部)優勝(2連覇)
     リスボンハーフマラソン3位 41分56秒(日本新記録)
     ボストンマラソン3位
     パドヴァマラソン2位 1時間21分23秒(日本新記録樹立)
     北京パラリンピックマラソン12位
     ベルリンマラソン2位
     シカゴマラソン2位
     ニューヨークシティマラソン2位
第28回 大分国際車いすマラソン3位
     JALホノルルマラソン2008 優勝(4連覇)
2009年 東京マラソン(車いすの部) 優勝(3連覇)
     ボストンマラソン2位
     ベルリンマラソン2位
     シカゴマラソン2位
     JALホノルルマラソン2009 優勝(5連覇)
2010年 東京マラソン(車いすの部)3位 
     ボストンマラソン4位
     ソウル国際車いすマラソン大会2位
     ベルリンマラソン優勝
     シカゴマラソン2位

●公式ホームページ : http://www.ab.auone-net.jp/~soe/



ホーム | 初めての方へ | お問い合わせ | 投稿者&ライター募集中! | 規約と免責事項 | 会社概要

Copyright (c) 2005 US Shimbun Corporation. All Rights Reserved.