酒井賢氏インタビュー記事

 在外教育施設には、日本国内の学校の役割以外にも、現地での生活面への配慮に加え、生徒が日本へ帰ったときのことを考慮した語学や文化、生徒の家族との信頼関係の構築など様々な大きな課題がある。

 700名の児童・生徒が通うシカゴ双葉会日本語学校補習校もその在外施設のひとつである。

 酒井先生は、2
0063月にその校長として赴任されているが、着任から日が浅く、また、秋に大きなイベントの主催が控えていることもあり、現在もなお大変忙しいところであるが、そんな中、お話を伺うことができた。


−シカゴへ赴任した経緯について


 1994年から3年間、インドネシアのジャカルタの日本人学校に赴任していましたが、とても有意義な時間だったと思っていたところ、再び、在外教育施設勤務応募の機会があり応募しました。今回の勤務は、以前勤務していた小学校の管理職を経験した後に勤務していた東京都教育委員会から派遣されていますが、派遣が決定するまでは、派遣先の地域については知らされませんでした。しかし、世界中のどの在外教育施設への赴任でも構わないという意識がありましたので、このことに関してはあまり重要視していませんでした。

 今回は、縁あってシカゴへの赴任となりましたが、子どものことや治安のことなども含めて、正直言いますと、大変良いところに赴任させていただいたと感謝しており、妻も喜んでいます。


−シカゴ双葉会日本語学校補習校について

 文部科学省で定められている在外教育施設には、2種類あります。ひとつは、「日本人学校」で日本のカリキュラムに沿った学習をする学校です。双葉会では、全日校がそれにあたります。もうひとつは、「補習授業校」で、月曜日から金曜日は、現地の学校に通い、土曜日のみ通学する学校です。双葉会では、私が校長を務めている「補習校」がそれにあたり、国語、算数等の学習を通じ、約700名の児童・生徒が日本語での学習をしています。双葉会は、同じ校舎で双方を運営している世界で類を見ない珍しいケースです。

 「日本人学校」は、東南アジアなどの現地と日本との教育レベルの差がある地域に主に設置されています。世界に約80校ある「日本人学校」のうち、ほとんどが東南アジアにあります。一方、欧米やヨーロッパにおいては、学習面というより、児童・生徒が日本に戻った際に、日本の言語や教育や文化に適応できることを目的とした「補習校」が主となっている流れがあります。そういった背景もあり、アメリカの「日本人学校」は、NY、ニュージャージとこのシカゴのみとなっています。

 教員については、日本人学校は、教員全員が日本からの派遣ですが、補習授業校は、一定の基準で教員の派遣人数が決まってきます。生徒の数が100名を超えると1名、その後400名を加算すると2名の派遣となりますので、約700名の生徒が在籍する本校では、私を含め2名が日本からの派遣です。その他の教員については、すべて現地採用となっています。土曜日の7時から21時までの勤務や、中には、片道40マイルの通勤をしている方などもおりますが、いろいろと制約の多い中、お願いしている教員の皆様については、高い意欲をもって教育に当たっていただいていると感じています。


−シカゴのよいところについて

 赴任してから約3ヶ月ということもあり、なかなか時間も作れず、ダウンタウンへも1度しか行っていない状況です。学校の中にいると普段の忙しさで、自分がどこにいる分からなくなるような錯覚に陥ることもあります。

 こういう状況なので、シカゴのイメージといっても、まだ、この学校のあるアーリントンハイツのあたりのイメージがメインです。東京でも、比較的緑の多い地域に住んでいましたが、緑の多い閑静な住宅街などを見るとアメリカにいると実感します。

 天気の良い時に、緑の中で深呼吸すると、アメリカにいるのを実感し、感謝の気持ちが湧いてくることを感じます。アメリカには、幾度か旅行できたことはありますが、住むのは、今回が初めてです。私にとってアメリカは、若い頃からの憧れの国ということもあり、毎日、新鮮でありたい、初心を忘れまいと考えています。

 はじめ、家族より一足早く単身で渡米したのですが、家族が来るまでに生活の基盤を立ち上げなくてはならなかったこともあり、楽しみながら苦労をしました。今では、なんということもないことなのですが、例えば、グロッサリーでの店員さんの英語が聞き取ることができずにとても時間をかけて買い物をしたり、マクドナルドのドライブスルーでは、店員さんとの会話をぜんぜん成立させることができず、逃げるようにそのままその場を去ってしまったりしたこともあります。また、その後、マクドナルドでドライブスルーをあきらめ、カウンターで挑戦した際、セットにハンバーガーを一個追加で注文してみたら、セットとハンバーガーが2つずつ出てきたのですが、当時は反論もままならず、やむなく完食してしまった、などいろいろとエピソードを作ってしまいました。こういうやり取りの中で、シカゴのよいところとして、もしくは、中西部だからなのかは分かりませんが、英語が苦手な人にも親切な地域だということを感じました。

−今までに乗り越えた障壁について

 人生の壁については、人間ならば誰にでもあるものだと思います。しかし、壁というのは乗り越えた瞬間に忘れてしまうものだとも思います。忘れたことが壁を乗り越えた証拠だと思いますので、特に振り返らず、思い出さないようにしている部分もあります。51年生きてきて、あえて、振り返ってみても、どれが一番だったかも良く分かりませんが、印象深いのは、ジャカルタの日本人学校に赴任していた時のことです。ジャカルタに赴任して約7ヶ月した時、父が危篤となり帰国をしようと思った際、今となっては誤解があったということが分かったのですが、当時の上司に帰国を断念させられそうになりました。管理職には、人道的措置という選択肢があるのですが、幸い、日本サイドから私を日本に帰らせるようにという指導があり、帰国することができるようになりました。そこで、航空券を手配しようとしたところ、時間的な制約もあり、航空券がなかなか取れず、その時には、愕然としました。しかし、父の心臓が一度止まったものの、再び蘇生したという連絡を受けながら、何とか飛行機に乗ることができました。結果としては、飛行機が日本の領空に差し掛かった頃、父は息を引き取りました。この経験があるので、私の周りで同様なことが起こったら、先の管理職のようには絶対にしないと心に決めています。また、一方、日本にいる母に関しては、覚悟をしている面もあります。こういうのは、遠いつらさとでもいうのでしょうか。


−仕事、人生で大切にしていることについて

 座右の銘というようなものは特にないのですが、基本的には、家族を大切にしたいと思っています。同様に、人と人とのつながりも大切にしたいと思っています。生まれたところや家族や考え方が違っても、縁あって出会えたと思うからです。例えば、先生方との関係についても、校長風をふかすのではなく、気持ちよく働けて、100%力が出せるような人間関係を築ける環境を作っていきたいと考えています。よくイメージするのは、北風と太陽の話ですが、どんな方でも心をつなげるやり方が良いと思っています。心配りをした言い方などで、がんばろうという気持ちになるものだと思います。


−余暇の過ごし方、趣味などについて


 趣味でやっていることなどは、今は、特にこれといってありません。しかし、日曜日が唯一家族と過ごせる貴重な日ですので、どう過ごすかは、重要なことだと思っています。

 もともと、浅く広くこなすタイプですので、学生時代にはいろいろと経験をしました。例えば、ヨットやウィンドサーフィンなどもやりました。ウィンドサーフィンについては、日本で900番台目のウィンドサーファーです。当時、ウィンドサーフィンの規格は、ユニバーサルジョイントという部品の特許の関係で、ひとつしかなく、セールの番号で何人目のサーファーかが大体分かったものです。数年前にバリでやりましたが、今でもまだまだできると確信しました。先日、湖に行ったのですが、その関連のショップなどをみると、グッズの日本との価格差もあり、未だにわくわくします。また、ヨットについては、先日、隣人がトムキャットという二艘艇を購入し、私も勧められましたが、家族なら、15フィートくらいのヨットがいいと思いました。もちろん、なかなかすぐには買うことはできないですが、近所の湖では、ヨットを借りることができるということを聞き、いい事を聞いたと内心喜んでいます。

 中学生の頃、アマチュア無線の免許をとったり、また、若い頃、TBSの美術部で仕事をしたりした経験があり、ベストテンの得点板などを担当したこともありますが、そういう経験もあり、ものを作ったり直したりするのは、比較的好きです。

 音楽についても、昔からサックスやギターなどに興味がありますが、今は、なかなか練習もできないので、ただ、憧れの楽器を購入したいと思うくらいです。


−今後やりたいことについて

 今は、仕事一本だと思っています。一方、もう少し余裕ができたら、仕事とプライベートをうまく分けられるようになりたいと思っています。今は、プライベートを犠牲にしており、休暇も取れない状況だからです。

 しかし、学校自体は、来週から夏休みに入るのですが、この10月に、世界中の37の補習校の校長、文部科学省、教育委員会、学芸大学の教授などがシカゴに集まる大きな研究会があります。まだまだ、私の仕事は尽きません。

 この研究会では、いくつかの研究テーマがあります。例えば、各校の取り組みの発表や、問題点の討議などです。派遣教員の職務は、法律上では、小・中学校のみが対象ですが、実際は、もっと広い層(幼・高)も対象にしないといけないという実情についての課題や、子供達の帰国後の日本への順応・受け入れに関する問題点など、広く学校経営に対する課題解決に向けての方策等を協議する予定です。

 児童・生徒は、癒しの場だけを求めて通学してほしくないと、私は考えています。ただ、結果的に、癒しの場となれば大変嬉しいことです。子ども達は、日々現地校や補習校の宿題に追われ、また、本来ならスポーツや家族との時間となるはずの貴重な土曜日を使って通っています。親子共に大変ですが、本当にがんばっていると思います。

 こうした子ども達は、私の誇りでもあります。今も既に、卒業生の中にはアナウンサーや弁護士、実業家など社会の第一戦で活躍している先輩方が数多くいますが、是非、今の児童・生徒の皆さんも、将来、日本に帰ってからも活躍してほしいと思います。


US新聞読者へのメッセージ

 補習校で毎週通ってきている子ども達は、がんばっています。そんな子ども達は、私達補習校の誇りでもあります。全日校もありますが、補習校は、がんばる子ども達の応援団です。入学をお待ちしています。

 補習校のホームページも全面リニューアルしましたので、是非学校の様子などをご覧になってください。



 酒井校長先生は、児童・生徒達のご家族との信頼関係の構築にも力をおいているという。TBSでの仕事経験やウインドサーフィンなどとても興味深い経歴の持ち主で、お話も面白いが、その経験から複数の視点で見ている方であると感じた。受け入れることのできる人、そして、優しいがその中に厳しさを感じる方であった。そんな校長先生に見守られている学校は、児童・生徒にも先生にも居心地の良い、いい雰囲気の学校であると思う。

200671@シカゴ双葉会日本語学校

文責:鴻田
写真:佐藤

双葉会シカゴ日本人学校補習授業校Webサイト

■酒井 賢(MASARU SAKAI)氏 略歴紹介

1955年生まれ。東京都板橋区育ち。

 東京都板橋区立第四小学校・志村第四小学校卒業後、東京都立航空高専、立正大学、玉川大学、慶応義塾大学、千葉経済短大で学んだ後、TBSテレビ(契約社員)を経て、東京都公立小学校教員(港区、板橋区、北区、西東京市、東久留米市)として勤務。また、1994〜1997年インドネシア共和国ジャカルタ日本人学校に教諭として派遣。
 今回は、東京都公立小学校の教頭、東京都教育委員会を経て、シカゴ補習授業校の校長として派遣されている。現在、妻と息子(小4)の3人暮らし。

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