ダニエル・ケン・イノウエ上院議員の「桐花大綬章」受章勲章伝達式


 日本とアメリカの友好親善と関係強化に貢献したとして、今年の春の叙勲で日本政府から「桐花大綬章(とうかだいほうしょう)」を受章した日系2世のダニエル・ケン・イノウエ(Daniel Ken Inouye)上院議員(87歳)への勲章伝達式・祝賀会が、10月3日、首都ワシントンの日本大使館公邸にて行われました。「桐花大綬章」は一般の外国人が受章する最高位の勲章で、今回の外国人叙勲では全世界でただ一人、日系アメリカ人としては史上初の受章となりました。

 イノウエ議員は1959年にハワイ州から下院に当選し日系人初の連邦議員となり、その後1963から9期連続47年以上にわたって上院議員を務め、現在は議会での最重要ポストのひとつである歳出委員長のほか、大統領継承順位で代3位という「上院仮議長」を務める民主党の重鎮。平成11年には、長年にわたって日系人の地位向上に寄与した功績により「旭日大綬章」を受章。今回の再叙勲は、米国議会での地位を最大限活かした連邦議会の対日理解促進や、日系人社会と日本との連携を強め日米関係強化に貢献した功績が高く評価されたものです。

各国の大使や日米両国の議員など100人を超えるゲストが招かれた勲章伝達式の会場は、華やかな祝賀ムード一色。イノウエ議員ご夫妻が入場すると、温かい拍手に包まれました。

 藤崎駐米大使がイノウエ議員に勲章を授与した後、急きょ駆け付けたジョー・バイデン副大統領が乾杯の音頭をとり、「もっとも敬愛する盟友」の硬骨な人柄と長年にわたるアメリカ議会への貢献を称えました。
藤崎駐米大使から勲章の授与を受けるイノウエ議員。左はアイリーン夫人

 受章の挨拶でイノウエ議員は、「(ハワイ移民の)祖父から“ギム”と“メイヨ”というふたつの言葉を忘れるなと言われました。人生には果たすべき多くの義務がある。名誉をもってそれらをなし遂げなさい、と教えたかったのでしょう。私は今までこれに従って生きてきました」と、自らの人生哲学を紹介。

 日系2世として戦前戦後の激動の時代をアメリカで生き抜き、今もなお上院最古参の議員として政治の表舞台で走り続ける彼の胸に去来するものは、いったい何だったのでしょうか。

“盟友”バイデン副大統領の祝辞

「義務」と「名誉」― 二つの言葉に込められた想い


 イノウエ氏は、1924年ハワイ生まれ。父母は祖父母とともに九州からハワイに渡った日系1世。ハワイ大学で医学を志していた18歳の少年の運命は、しかし、1941年の日本軍による真珠湾攻撃で一転します。「敵性国民」となった日系人に厳しい差別や偏見の目が向けられるなか、彼はアメリカへの忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、約4000人の日系人だけで編成されたアメリカ陸軍「第442連隊戦闘団」の一員として最も熾烈なヨーロッパ最前線へと送られます。


(photo: Inouye.senate.gov)
 “敵性国民による捨て部隊”とみなされていた「442連隊」は“祖国アメリカ”のために奮戦し、死傷率314%という凄まじい戦いの末にドイツ軍を撃破。連合軍勝利に貢献し、アメリカ陸軍史上最も勇敢で名誉ある部隊としてその名を歴史に刻むことになりました。

 最も差別を受けて見送られた軍隊が、最も名誉ある出迎えを受けるという歴史の何たる皮肉。(イノウエ氏はこの作戦での英雄的行為と任務への忠誠により、2000年6月21日、クリントン大統領からアメリカ軍人に贈られる最高位の勲章である名誉勲章“Medal of Honor”を受章。)


連隊の元兵士たちの証言をつづったドキュメンタリー映画『442: Live with Honor, Die with Dignity』(邦題『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』)(2010年)のなかで、イノウエ氏は当時を振り返って次のように語っています。

 「隊員たちは皆、家族に不名誉の名は着せられない、家族が自分を恥じないようにしたい、と言っていました。家族への不名誉はなによりも耐え難かったのです。」

 尊敬してやまなかった祖父に、「君はサムライだ」と育てられたイノウエ青年にとって、アメリカ軍に入隊しアメリカのために戦うことは「義務」であり、家族のためにも“日本人として恥ずかしくない働きをする”ことこそ「名誉」だったのです。

 壮絶な人生を送ってきたとは思えないイノウエ氏のおだやかなたたずまいは、この教えに従って生きてきたゆえの迷いなき謙虚さの証かもしれません。

日米関係と日系人社会の果たす役割

 今回の受章功績のひとつでもあり、イノウエ氏が長年にわたり心血を注いできたのが、アメリカの日系人社会と日本との連携を深める活動でした。毎年必ず日本を訪問し、官民双方レベルでの交流を通じた日米の絆の強化に尽くしています。

 2005年に東京で開かれたシンポジウム「日系アメリカ人と日米関係の将来」(主催:全米日系人博物館)で、イノウエ氏が語った言葉が思い出されました。

 「日米関係は今は良好だが、歴史は常に変化するものだ。今は友人であっても将来いつ敵同士になるかはわからない。だからこそアメリカ社会の様々な分野で活躍している日系人は、日本のみなさんと手を携え今まで以上に日米の友好関係の維持に尽くしていきたいと思っている。」 

 他民族・他国文化への無理解や無知が国際緊張を生み、昨日の友が一夜にして敵になる恐ろしさを身をもって体験した者だけが言える、真摯な警告であり最大の愛情表現でした。アメリカを知るには、まず日系人社会の理解から始めよ、そして日系人社会とのつながりを最大限に生かすことがより強固な日米関係につながる、そう説いたのでしょう。

 「世界の中で認められる日本になるには、まず日本人が民族の多様性(Diversity)を本気で正しく理解する必要がある。そしてこのDiversityを一番よく知っているのは日系人なのです。」

“米国議会の良心”と“日米の懸け橋”

 むろん、イノウエ氏の行動の軸となっているのは「アメリカの国益」。そのうえで、アメリカの一番の関心は今やインド・太平洋地域にあり、だからこそ日米の関係強化は重要なのだとイノウエ氏は強調します。

 「(アメリカ議会で最も影響力のある)上院歳出委員会の長に日系人の私が選ばれたのは何故か?アメリカのリーダーたちが日米関係の重要性を真剣に考えているからです」今年6月、日本記者クラブでの講演でこう語った胸の内には、今この“義務”を果たせるのは自分しかいないという並々ならぬ自信と覚悟がうかがえます。日本人としての誇りを持ち、“米国議会の良心”として長年にわたって米国内外の信頼を集めてきた彼にだからこそ果たせる“日米の懸け橋”。この機会を賢く生かせる「熟せる国」日本であってほしい、とつくづく感じます。

「私を支えてくれた二人の女性」

 私は人生で幸運にも素晴らしい二人の女性にめぐり合いました。(2006年に)ガンで亡くなった最初の妻、そして現在の妻です。彼女たちの存在なくしては今の自分はありません。この章は彼女たちに贈られたものでもあります」と受章の挨拶で語ったイノウエ氏。

 3年前に、当時ロサンゼルスの「全米日系人博物館」館長を務めていたアイリーン・ヒラノ氏(現「米日カウンシル」代表)と再婚、超多忙を極めるご夫婦は「アメリカの日系社会と日本を、人と人との交流を通じてつなぎ日米関係を強化する」という同じミッションに向かって夫唱婦随で活動を共にしています。

 最強の“同志”を得た喜びとエネルギーがイノウエ氏の表情に満ちあふれ、その傍らで終始たおやかな笑顔を浮かべて見守るアイリーン夫人の姿が、最後まで印象的でした。

 受章式後の会見でイノウエ議員はこのように締めくくりました。

 「50年以上も厳しい国会議員の職を務めてこられたのは、ひとえにいいパートナーあってこそ。アイリーンはそのひとり。いつも私を勇気づけてくれた。私は本当にラッキーです。」

                                取材・撮影・文/ 長野 尚子


★桐花大綬章:「勲一等旭日桐花大綬章」(くんいっとうきょくじつとうかだいじゅしょう)
日本国の勲章の一つ。1888年(明治21年)1月4日に旭日章の最上位として追加制定された、日本に於ける高位勲章の一つ。

★ダニエル・イノウエ上院議員 (プロフィール)
ダニエル・ケン・イノウエ(Daniel Ken Inouye、日本名:井上 建(いのうえ けん)
・1924年9月7日、日本人移民の両親のもと、当時アメリカの準州であったハワイのホノルルで生まれる。その後ホノルルの高校を経てハワイの名門・ハワイ大学マノア校に進学。
・ハワイ大学在学中の1941年12月、太平洋戦争勃発。
・1943年、アメリカ軍に志願しアメリカ陸軍の日系人部隊「第442連隊戦闘団」に配属される。イタリア戦線において右腕を失う。
・1947年、「殊勲十字章(Distinguished Service Cross)」、「パープル・ハート勲章(Purple Heart Oak Leaf Cluster)」を受け、陸軍大尉で名誉退役。
・ハワイ大学に復学し、1950年に同大学を卒業。BA(Government and Economics)を取得。
・1952年、ジョージワシントン大学ロースクールにてJ.D. degree を取得。
・1954年、ハワイ議会の議員に当選。
・1959年、民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選し、アメリカ初の日系人議員となる(1959年-1962年)。
・1962年、上院議員に当選。
・戦時補償法の制定などに尽力する傍ら、1973年にはウォータゲート事件、1987年にはイラン・コントラ事件の上院調査特別委委員長を務める。
・1999年 「勲一等旭日大綬章」受章。
・2000年6月21日、軍人に贈られる最高位の勲章である「Medal of Honor(名誉勲章)」を受章。
・2007年11月、フランス政府から「レジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)」を授与。
・2010年6月28日に最古参であったロバート・バード上院議員が死去したことで、上院で最も古参の議員となり、慣例により上院仮議長に選出される。上院仮議長は大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位のものとなる。

★参考
・United States Senator Daniel Inouye 公式サイト
http://inouye.senate.gov
・Dan Inouye U.S. SENATOR
http://www.daninouyehawaii.com
・Wikipedia.org  (Daniel Inouye)


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