演歌のJERO、シカゴで復興支援のためのチャリティーライブ
〜2012年JCCC(シカゴ日本商工会議所)新年会
 
年も改まった1月16日、「ルネッサンス・シャンバーグホテル」において毎年恒例、JCCC(シカゴ日本商工会議所)主催の新年会が開催され、参加した約900人の会員・家族が日本の復興を願いつつ、2012年の幕明けを共に祝いました。 今回日本から招かれたゲストは、2008年に衝撃のデビューを飾った黒人演歌歌手、JERO(ジェロ)。魂の歌声に会場が酔いしれました。


 JCCCは、シカゴ進出日系企業などを中心とした会員により構成される地域経済団体。1966年の創立以来、シカゴと日本の相互理解を深めビジネス交流を促進するための様々な地域貢献事業や教育支援事業(シカゴ双葉会日本語学校、全日校・補習校の創立・運営)などを行っています。
 また、昨年の東日本大震災の直後には震災義援金の受付窓口となり、企業や個人から寄せられた義援金68万ドルに同額を上乗せした、総額136万ドル(日本円で約1億500万円)を日本赤十字を通じて寄付するなど、復興支援を続けています。

日本人の祖母から受け継いだ、JEROの演歌魂


 そのJCCCが創設以来長年にわたり続けてきた恒例の新年会。今年は昨年の東日本大震災の復興支援のチャリティーとして行われ、岡村善文在シカゴ日本国総領事、アル・ラーソン・シャンバーグ市長などを来賓に迎えるなか、会員企業・個人やその家族など総勢900名が集いました。 本日の特別ゲストは、2008年に「海雪」で鮮烈なデビューを果たした異色の黒人演歌歌手、JERO(ジェロ)。

 彼がシカゴの地を踏むのは、大学時代に日本の某英会話学校の面接を受けに来て以来2度目のことだそう。13日にシカゴ入りした彼は、さっそく翌朝のアメリカNBCのニュースに生出演し、演歌を「日本のブルース」と紹介しつつ日本での活動について語るとともに、震災の継続支援を呼びかけました。また、その後日系人の多く住む高齢者施設を急きょ訪問し、震災後心が沈みがちだった入居者から熱烈な歓迎を受けました。


 ブルーのスーツに身を包みステージに登場したJEROは、ライブ前のミニトークで秘蔵写真をバックに自分を演歌の道に導いてくれた日本人の祖母との思い出や演歌への想いについて語りました。
 「おばあちゃんは本当に僕をかわいがってくれました。おばあちゃんのうちに遊びに行くと必ず流れていたのが“演歌”だったんです。」 おばあちゃんを喜ばそうと歌い始めた演歌が、彼を日本に引き寄せるきっかけになったのでした。その祖母は2005年に他界、3か月後にデビューが決まったJEROは、今でもステージに出る前に心の中で「おばあちゃんありがとう」と語りかけるそう。

 アメリカにも彼の熱心なファンは多く、この日もわざわざ他州から訪れたファンの姿も。「日本食で一番好きなものは」との質問に「納豆ですね」と即答し、会場は驚きのざわめき。言葉遣いや佇まいに加えて、とことん“日本人”なJEROと観客との距離が一気に縮まったひとときでした。

観客と共に「上を向いて歩こう」

 そして、ライブ。デビュー曲の「海雪」を情感たっぷりに歌い上げたあと、「氷雨」「雪国」と往年の名曲が続く。若い世代に演歌の魅力を伝えようとリリースしたCD「カバーズ」の中からの選曲に、カラオケ好きのオジサマ方はたまらず一緒に絶唱。

 JERO自身「一番思い入れがある」と語ってくれたのが、母のことを歌った「晴れ舞台」。
 『昔話をねだっても「忘れたよ」しか言わなくなっちまって 母ちゃんおいらは知ってるよ 灯りも点けずにオイオイと 忘れた昔が夜泣きするのを・・・忘れちまった昔の代わりに 夢を見させてやるからね・・・』
 まだ外国人が珍しかった頃の日本で、ハーフとして世間から冷ややかな目線を向けられ傷ついた若き日の母への想いが切々と綴られ、会場の母たちは思わずホロリ。
 
 
泣かせ、笑わせ、軽妙なトークをおり交ぜながら新曲「夜明けの風」まで計9曲をたっぷりと熱唱し、アンコールは「上を向いて歩こう」。この曲は、昨年UCバークレー校から「バークレー日本ニュー・ビジョン賞」を授与された際、ライブのアンコールで歌い好評だった曲。
 「僕の歌で少しでも多くの人が元気になっていただけるとしたら、こんなにうれしいことはありません。これからも自分の出来るかぎりの支援をしていきたいと思っています」そう語るJEROと共に、日本の復興を願い会場がひとつになって大合唱、約1時間半に及ぶライブの幕が閉じました。

復興支援のために心を一つに


会場に設けられたJEROのCD、キャラクターグッズの販売
コーナー。売り上げの一部は震災義援金に寄付される。
 ライブの興奮冷めやらぬ会場では、引き続きJCCC加盟の企業から提供された豪華賞品が当たるお楽しみのラッフル大会が行われました。液晶テレビや日本行き航空チケットなどの当選者が次々と壇上に上がり、思いがけない“お年玉”に興奮気味。
 また、会場には「東日本大震災復興義援金」の受付窓口が設けられ、JEROのCD、キャラクターグッズの売り上げの一部が義援金に寄付されるなど、震災復興への支援の呼びかけも。

 震災で日本が受けた痛みをいつまでも忘れずに支援を続けていこうと、参加した皆が気持ちをひとつにした新年会でした。


■JERO特別インタビュー

― シカゴで一番楽しみにしていたことは?
やっぱり人前で歌うのが一番楽しいですね。なかなかアメリカでそういう機会がないので。緊張するんですけれど皆さんに喜んでいただいて。自分もステージに立って歌うことがずっと夢だったし、非常に楽しかったですね。

― 演歌歌手になろうと決意したきっかけは?
15歳の時に初めて(日本語スピーチコンテスト出場のため)日本に来て、そのときは2週間だけだったんですね。(大学時代)留学生の時は4か月。日本語も学んで友人もたくさんできて、ある程度日本のことを知って、その時初めて日本で暮らせることができるかなと思ったので、大学を卒業した後に必ず日本に戻ってこようと決心しました。それが演歌歌手になるきっかけになりました。

― 苦労した時期をどう乗り越えたのですか?
 自分を信じて自分にはできるという思いを忘れずに、何があってもがんばるしかないですね。ダメだったとしても「精いっぱい頑張りました」の一言が言えるなら、それはそれでいいと思うんですよね。

 演歌の魅力は何でしょうか?
日本語が解らないときから演歌を聞いていまして、心から歌っている歌手の方々の姿を見ていろいろ感じて。やはり歌詞がものすごく魅力的だし、歌詞の表現の仕方がほかのジャンルにないと思いますね。たまにわからない言葉とかフレーズとかありますが、演歌好きの友達とかディレクターや先生に直接聞いたりしています。わからないと歌えないので。

― 歌っていることはどんなことを考えますか?
曲によりますね。歌詞を大切しながら歌うことが大事ですので。毎回毎回その時の気持ちとかその時思い浮かんだイメージとか。できるだけ聞いている側に歌詞の世界を感じていただけるように必死で歌います。

― 若い世代に演歌を伝えたい、とおっしゃっていましたが?
やっぱり新しい刺激を与えることが大事だと思いますよね。今は「紅白」くらいしか若い方がテレビで演歌歌手の歌を見られる機会があんまりないし。でもJEROの存在は知っていると思うので、JEROがこんなことをしている、コンサート見に行こうかな、って思ってもらえるようにいろいろ挑戦しながらやっていきたいですね。

― カバーアルバムも出していらっしゃいますね。
(昔の曲ヒット曲を)違ったアレンジで聴いて、また原曲を聞きたくなるようなそういうアルバムになればいいなと。

― これから演歌以外で歌ってみたい曲は?
企画ものとしてはあるんですけども。たとえばカバーアルバムでR&B特集とか。コンサートで何曲か英語の歌を歌ったりしているんですけれど、基本的には演歌歌手としてずっと歌い続けていきたいなと思っています。

― 日本語はどうやって勉強したのですか?
子どもの頃は自分で。高校に入ってからは授業で日本語を勉強しました。あとは大学で。自分自身日本語に興味があったので、必死で母と祖母の話を聞いたりして勉強しました。日本に行ってからは日本語をしゃべらなきゃいけない環境だったし、それが一番身につきましたね。

― 震災の時のことについて教えてください。
新木場で撮影をやっていました。ビルの1階にいてすぐ外に出たけれど、立っていられないほどの揺れでした。たくさんの心配のメールをもらいました。(アメリカに)戻ってほしいというのもあったけど、母はそうでもなかったですね。自分は東京にいたのでまだ住む場所もあると思って。震災を受けたところとは比べようがないと思いました。

― 震災前と後で仕事の価値観は変わりましたか?
震災があって1か月ちょっと東北に行って、実際に津波のダメージを自分の目で見て、改めてどれだけ震災が大きかったかを感じました。でもそんなことがあったのに実際避難所のほうにお訪ねして皆さん前向きな気持ちでいらっしゃる姿を拝見して、こちらのほうが元気やパワーをもらって。「ぜひ歌ってください」って言うひとことをいただいて、歌うと本当に喜んでくれて。歌の力はすごいな、と改めて思いました。

― 今年の抱負は?
できるだけ演歌のファンを増やすこと。個人的には新しい挑戦を今までにやったことのないことをやってみたいし。やっぱりアーティストとしての成長が一番大事ですね。TVドラマやミュージカルとかもまたやりたいと思っています。


公演後のインタビューは、英語ではなく全て日本語で受け答えをしてくれたJEROさん。彼の思いやりに満ちた言葉の選び方に、こちらの心が癒されました。きれいな日本語を話す彼に刺激されて、「アメリカ育ちの息子が「ジェロさんみたいに日本語がうまくなりたい!」とやる気満々になった」と、公演を見ていた友人が教えてくれました。JEROさんはここシカゴでも、老若男女すべての人たちにさわやかな刺激を与えてくれたようです。


                                      取材・文・撮影/長野尚子


JEROプロフィール

1981年9月4日生まれ。日本人である祖母の影響を受け、幼少より演歌を聴き始める。
そして、大好きな祖母を喜ばせる為に自分でも演歌を歌い始めるうちに、自分自身が演歌の虜となる。
その後、名門ピッツバーグ大学に進学し、情報科学を専攻。優秀な成績を収め、コンピュータエンジニアとして周囲から将来を嘱望される。
だが、その一方で演歌の魅力にますますとりつかれ、ついに2003年、 演歌歌手になる為に来日。来日して2ヵ月後にはNHKのど自慢に出場し、いきなり合格。
その後、コンピュータエンジニアとして仕事をする一方で、各地のカラオケ大会で数々の優勝・準優勝を獲得。アマチュア演歌歌手として精力的に活動を続けているところを、ビクターエンタテインメントがスカウト。2年に及ぶボーカルトレーニングを経て、 2008年2月シングル「海雪」でビクターエンタテインメントよりデビュー。
オリコン総合シングルチャートでの初登場第4位は、演歌・歌謡曲の新人ソロ歌手として 史上初のベスト10入りを果たすとともに過去最高位を記録。その後も数々の記録を塗り替えている。そして、「ベストヒット歌謡祭」「日本有線大賞」「日本レコード大賞」という音楽賞のすべてにおいて最優秀新人賞を獲得するとともに、2008年には念願の「紅白歌合戦」への初出場を果たした。2011年2月、米国のカリフォルニア大学バークレー校日本学研究所から「バークレー日本ニュー・ビジョン賞」を授与された。


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