岩藤俊幸総領事インタビュー記事

 2015年4月、在シカゴ日本国領事館の新総領事に着任した岩藤俊幸氏。東大農学部ではニジマスの研究にとりくみ、修士論文はバクテリアに関する研究だったという、外務省では「変わり種」。初めてのアメリカ赴任、初めてのシカゴでの約10か月を、たっぷりと語っていただいた。



― 就任のご挨拶で「極寒と極暑はすでに体験済み」とおっしゃっていましたが、シカゴの極寒を実際に体験されていかがでしょうか?(インタビューの行われる前週はこの冬初の大寒波がシカゴを襲ったばかり)
  シカゴには失礼ですが、カナダやヘルシンキでも経験していますのでこれくらいなら平気です。カナダにいたとき、昼間にマイナス30℃を軽く超えたのを経験しました。極暑はパキスタンで経験しましたが、あそこはどんなに暑くてもなぜか49℃という発表となるんですよ。50℃を超えると働かなくていいという噂もありました。

― ご着任から約10か月が経ちましたが、着任前後でシカゴのイメージはどのように変わられましたか?
 シカゴに関しては、正直言って全くイメージがなかったんですよ。ミシガン湖のそばにある大都市というくらい。着任して最初の印象は、人々が非常に心地良いということでした。違和感なく気持ちよく接することができる、といいますか。そのあとあちこち回ってみると、日本とは共通の価値観を共有しているというようなお言葉をよくいただきますが、特に「仕事に対する責任感や勤勉さ」ということを挙げられることが多いですね。実際にみなさん実によく働いておられますね。

― 中西部10州をご担当されていかがお感じになりましたか?
 日本の国土の4.6倍あるエリアに約3万3000人の邦人の方々がいらっしゃる。そこをたかだか10人ちょっとでカバーするなんて不可能だと私は常々言っているんですよ。でもそれが可能になっているのは、ひとえに各地の日系人団体を含む日本友好団体のおかげだと思っています。シカゴ周辺には邦人だけでも1万人以上が住んでおり、いろいろな日系団体がありますが、それらは設立の歴史的背景やアメリカ社会での経験も違っています。アメリカ国民として生きていくための社会サービスを支援していく団体や友好団体など目的もさまざまで、同じ「日系人」としてくくれない部分があります。世の中はそう簡単にはできあがっていません。
 これらの団体の方々の「日本と自分の地域を繋ごう」という想いがあるからこそ、私たちは何とか仕事をこなすことができているのだと頭が下がる思いです。ですから、私は基本的に呼ばれたらできる限り行くようにしています。それが私たち総領事館の人間ができる最大の貢献だと思っています。

― ご就任してからの面白いエピソードや印象に残るお話をご紹介ください。
 このエリアには70ほどの姉妹州、県や都市が存在しています。その中でも長崎市とセントポール(ミネソタ州)は、去年、姉妹都市関係60年を迎えたというアメリカの中でも最も古い姉妹都市のひとつです。その昔、商船で頻繁に長崎を行き来していたアメリカ商人のヒルさんが、原爆で壊滅した長崎を目の当たりにして「お互いが友人同士だったら戦争は起こっていなかったかもしれない」という素朴な気持ちから国連に姉妹都市関係を結ぶべきだと提案をして、国連の関係機関が仲介してできた最初の姉妹都市だったのです。
 また、アイオワ州と山梨県も日米間で締結された最初の姉妹県州関係にあります。1959年の伊勢湾台風で山梨が大変な被害にあった時、アイオワ州出身の軍人リチャード・トーマスが復興支援策として35頭の豚を飼料と共に山梨に空輸したんです。そのとき贈られた最後の1頭が死ぬまでに、なんと豚は50万頭にまで増え、その末裔が現在の山梨のブランド豚「フジザクラ」になっているそうです。その後、中西部で洪水の大被害が出たとき、山梨県がアイオワ州支援の募金活動を行った。このような単なる姉妹都市関係という形を超えた根っこのある話は、素晴らしいと思いますね。

2015年4月、総領事歓迎パーティーにて来賓と歓談する岩藤総領事。左は、前シカゴ日米協会会長、Edward A Grant氏。

― 中西部はアメリカのハートランド、アメリカの縮図だとも言われますが。
 そうあってほしいですね。反省を込めて言えば、中西部は外からはなかなか見えにくい場所なんですよ。アメリカの外から見えているのは、あくまでも東海岸、西海岸といったニュースになりやすいところであって、そこから発信されたニュースだけでアメリカを知ったような気分になっているわけですよ。中西部は農業地帯が多く、日本とのつながりも経済関係中心です。派手なニュースになりにくいところです。地味だけど、すごく地道で重要な部分なんです。

― 派手な観光アトラクションがないのが悩みですが、シカゴで注目の場所はございますか?
 最近注目しているのは、(シカゴサウス地区の)ジャクソン・パークです。1893年のシカゴ万博のとき、この場所に日本が平等院鳳凰堂をモデルに「鳳凰殿」を建築しました。残念ながら後に鳳凰殿は焼失してしまいましたが、2018年にタイ系アメリカ人の建築家の設計で「フェニックス・パビリオン」として新たに生まれ変わることになりました。さらに、同じ公園内にオノ・ヨーコさんが「スカイ・ランディング」というオブジェを創作展示することも決まり、これは今年の6月に完成予定です。過去の遺産がまたリバイブしてアメリカ風のものとして将来につながっていく、これはとても素敵なことだなぁと思いますね。
 また、(同公園が候補地になっている)「オバマ・ライブラリー」がもしここに決定すると、ジャクソン・パークは多くの日本人旅行客を引き寄せるんじゃないかな、と期待しています。シカゴのサウスサイドは決して治安のいいところではないので、もし観光地として開発がすすめば商売や職が生まれ、そこで絶望している若者たちに希望を与え、治安にもいい影響を与えるかもしれません。昨年6月の地鎮祭のとき、シカゴのエマニュエル市長も同じような話をしていました。

― ところで、ご自身は東京大学農学系修士課程修了という研究職ですが、どのような研究をされていたのでしょうか?
 私の修士論文は、「フラボバクテリウム(長桿菌)がいかに魚を死に至らしめるか」というものでした。イギリスで出版もされたんですよ。外務省に入って「あなたの論文を引用してもいいでしょうか」というレターをもらった珍しい人間だったのではないでしょうか(笑)

― 外務省に入ろうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
 たまたまそうなっただけです(笑) 大学生のときに国家公務員採用上級試験(水産)を受けて、農水省の研究所に入る道を確保していたんです。その頃、82年に国連海洋法条約(UNCLOS)が締結されるのに先駆けて、沿岸を持っているソ連、中国、韓国、アメリカ、カナダなどの国々が200カイリの設定を始めており、日本もそれらの国々と漁業権を交渉しなければならなくなった。その交渉事のために、当時の外務省では海洋に詳しい人材を採用していたといういきさつがあったようです。


― 東日本大震災から間もなく5年が経ちます。震災当時はフィンランドにいらっしゃいましたが、当時の思い出をお聞かせください。
 震災の映像を見たときは、本当にショックでした。当時フィンランド大使館の次席だった私は、まずヘルシンキの空港に記者会見室をおさえてもらいました。当時は日本から日に3本ほど直行便があったのですが、その日着の飛行機に乗っている方々は日本で何が起こったか知らないわけです。少なくとも何が起こったかをわかる範囲で状況を伝えないと大パニックになると思い、団体で到着された方個人で来られた方すべてを部屋に案内し、分かる範囲でですが状況を伝えました。その上で、フィンランドに留まって帰国しようとする人の宿泊の手配などに奔走しました。
 フィンランドはとても親日的な国で、当時の大統領や外務大臣が続々と大使館に弔問記帳に訪れたり、ニーニスト議会議長(現大統領)が議会で黙とうを行うことを提案したりしてくださいました。また、フィンランドの有名ロックバンド、ハノイロックス(HANOI ROCKS)のヴォーカル、マイケル・モンローが支援金募金コンサートを開いてくれました。

― 3月にシカゴでも大震災5周年の追悼式典(“絆5”)が大々的に行われますが、大使館としてどのように参加されますか?
 運営そのものは(“絆5”の)プロジェクトメンバーが尽力されており、総領事館はあくまでそれを支援する立場です。自然災害というものはとても普遍的なことであり、明日は誰にでも起こりうるものです。「あの時日本は、東北ではこうだった」と振り返り、被災地が完全に復興するまで被災者と寄り添うことが大切です。どこにでも起こりうることだからこそ、自分だったら何ができるのかのヒントを与えられるものになればいいなと、私は考えています。
 東北の大震災の直前に、ニュージーランドでも大地震がありました。ニュージーランドはまだ自国の震災の後始末に追われているのにもかかわらず、援助隊を日本に送り込んでくれましたが、このことはあまり知られていません。昨年ネパールでも大地震が起こりましたが、今年の“絆5”にはネパール名誉領事に参加していただいて、当時どのような対応をしたかというお話をうかがう予定です。今、日本だけが自分たちの悲劇について語るのではなく、このような大悲劇の中で人間は何をやるべきなのか、どうやってそれを乗り越えていこうとするのか、違う立場に立った時に自分には何ができるのかに焦点をあてていければいいな、と考えています。

― 休日は何をされていますか?
 なかなかまとまった休日はありませんね。土日どちらも休んだことはほぼないといっていいくらいです。それに、(公邸のある)エヴァンストンにいると正直なかなか週末にまでシカゴに出て来ようという気持ちになれないんですよ。駐車代も高いし(笑)。出かけるときは、むしろ車で郊外に向かうことが多いですね。インディアナやウィスコンシン方面、たとえばマディソンやミルウォーキー、イリノイ州内ではロックフォードあたり。あとはジョギング。
 外国生活で学んだことは、週単位でリズムを作ることです。例えば週末に料理をする、走るなど、週単位や日単位でリズムを作っておかないと体調を崩したりするんですね。ジョギングはお金もかからないし、ちょうどいいんです。

― ご趣味の釣りのほうはいかがですか?
 これまで3回行きましたが、レイクジェニーバで1回釣れただけで2回はボウズでした。今年はもっと行ければいいんですが。それから、今年のシカゴマラソンに出ると宣言しているので、なんとか目標5時間くらいでいきたいですね。




研究者らしく謙虚で、かつお考えが理論的でごまかしのない方。ご本人曰はく、「何事も自分でやるのが好き。見るだけでは全く満足しないタイプ」だそう。ほんわかとした雰囲気の中に、本質を見抜く一言がとても印象的でした。




2016年1月14日@在シカゴ総領事館総領事室

                                  文責/ 撮影:長野尚子


■岩藤俊幸(いわどうとしゆき)総領事 略歴

1956年6月 東京都生まれ
1982年3月  東京大学大学院農学系研究科修士課程修了
1982年4月 外務省入省
1998年9月 在パキスタン日本国大使館 一等書記官
2001年1月 在パキスタン日本国大使館 参事官
     2月 在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部 参事官
2003年9月 経済局国際経済第一課企画官兼漁業室長
2004年8月 経済局経済安全保障課企画官兼漁業室長
2006年6月 領事局外国人課長
2007年10月 大臣官房
         兼内閣事務官
         内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付) 
         内閣官房総合海洋政策本部事務局参事官
2009年7月 在フィンランド日本国大使館 参事官
2010年1月 在フィンランド日本国大使館 公使
2012年12月 衆議院参事 国際部長
2014年7月 外務事務官 大臣官房
        (公財)地球環境戦略研究機関
2015年2月 在シカゴ日本国総領事館 総領事

趣味は、釣り、ジョギング。



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