2016年JCCC新年会。スペシャルゲストに由紀さおりさん&安田祥子さんを迎えて


 年も改まった1月10日、シャンバーグ市の「ルネッサンス・シャンバーグ・コンベンションセンター」において、JCCC(シカゴ日本商工会議所)主催の新年会が約900人の出席者を迎えて盛大に開催された。今年で創立50周年を迎えるJCCCは、シカゴ進出日系企業などを中心とした会員により構成される地域経済団体。創立以来、シカゴと日本の相互理解を深めビジネス交流を促進するための様々な地域貢献活動や教育支援(シカゴ双葉会日本語学校、全日校・補習校の創立・運営)、講演会・セミナーの開催などを行ってきた。 

 第1部は、堀賀郎JCCC会頭(米国新日鉄住金)開会挨拶で幕を開けた。JCCCが50周年の節目に一般募集した記念スローガン『受け継ごう信頼の50年、育もう次の50年へ』(Kikkoman Foods, Inc.の中村覚さん作)にふれ、「日本人の美徳である誠実さと正直さを持って過ごし、50年間にわたって先輩方が築いてこられた日本への信頼をより一層高めていくことが、次の50年を担う私たちの務め。そうした取り組みを支えていくシカゴ商工会議所でありたい」と決意を述べた。
 
 岩藤俊幸・在シカゴ日本国領事の来賓挨拶につづき、シカゴ双葉会日本語学高等部3年の八木透君が「新しいものをどんどん試していく姿勢や、とりあえずやってみよう、その失敗から学び次に生かそうというアメリカの文化に多くを学んだ。興味のあるIT分野で将来生きていきたい」と、新年の抱負を語った。

 シャンバーグ市長のアル・ラーソン氏が歓迎の挨拶と乾杯の音頭をとり、昼食をはさんで第2部へ。第2部は、お待ちかねのスペシャルゲストによるコンサート。今年日本からお迎えした歌のゲストは、歌手の由紀さおりさんと、声楽家の安田祥子さんご姉妹。おふたりは日本の先人たちが残した素晴らしい日本の童謡・唱歌を歌い継ぐべく各地でコンサート活動を続けており、今年は姉妹で活動を始めて30周年。この節目の年の初めにシカゴでおふたりの生の歌声を聴けるとあって、この日は小さなお子様連れのご家族の姿が目立った。

 1月から12月までの季節(祭事)にまつわる歌を集めた“歌のカレンダー”では、たおやかで美しい響きの日本語をしみじみと味わい、1970年にベッツィ&クリスが歌って大ヒットした『白い色は恋人の色』ではおふたりの透き通るようなハーモニーにうっとり。『トルコ行進曲』(ピアノソナタ第11番イ長調)では、一転して息を継ぐ暇もないほど超高速スキャットデュオにGoosebumps(鳥肌)。

 シカゴに到着した翌日、さっそくシカゴ双葉会日本語学校補習校を訪れて小〜高学年の生徒たちの前で10曲ほど日本の歌を歌ったというおふたり。「特に小さいお子さまがたは日本の子供たちよりもよく歌をご存知なんじゃないかしらと思うくらい唄ってくださって、本当にうれしゅうございました。ただ日本と違うなと思ったことが一つ。『どんぐりころころ』で後打ち(アフタービート)の手拍子がきたことでございます。さすが、ブルースの国だなぁと」(会場爆笑)

      
シカゴ日本語学校・補習校にて生徒たちと一緒に

 おふたりが観客のリクエストに即座に応えて歌う「リクエスト・コーナー」では、由紀さんが客席の隅々まで足を運んでコミカルなトークを繰り広げ、会場は和やかな笑いに包まれた。さすが“歌うコメディアンヌ”。(知らない人も多いかもしれないが、由紀さんはその昔、かの伝説的TV番組『ドリフの大爆笑』最多ゲスト出場を誇る、コントの女王なのである。)
  
(左)
由紀さんと『さんぽ』(となりのトトロから)を唄う栗山結衣ちゃん(7歳)
(右) 「ファンでした」という男性のリクエストは、1970年の大ヒット曲『手紙』

 
日本は子供の歌大国。特に小動物に対する優しいまなざし、親子の絆、季節を歌った歌がとても多い、と由紀さんは言う。しかし、日本でもこれらの唱歌をきっちりと教えてくれる小学校はだんだんと減ってきているそうだ。また、歌の中の風景も時代とともに移り変わり、たとえば「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ・・」(『シャボン玉』)という歌詞を「屋根ごと一緒に飛んでいっちゃった」と解釈したり、「うちは高層マンションだから屋根がありません」という子もいるというシュールな笑い話も。
 日本語はリズムではなくメロディー主体の言語なのだが、最近はリズムが主体になり日本語のアクセント通りにメロディーがついている歌が少ないというお話にも、歌詞テロップがなければわからない歌が多くさびしい思いをした、年末の「紅白歌合戦」の記憶がよみがえり深く納得。だからこそ、滝廉太郎、山田耕筰といった先人たちが身を削るようにして作った唱歌のもつ意味が、海外で暮らすものにはより一層身に染みた。

 コンサートの最後は、シカゴ双葉会日本語学校補習校の生徒たちと『故郷(ふるさと)』を合唱して、幕が閉じられた。

※以下、“歌のカレンダー”で歌われた曲名です。さて、あなたは何曲歌えますか?
  一月一日
  まめまき
  うれしいひなまつり
  さくらさくら
  鯉のぼり
  あめふり
  たなばたさま
  われは海の子
  虫の声
  紅葉
  冬景色
  スキー
  お正月


 第3部はラッフル大会。今年もシカゴ-東京間の往復航空券やiPad、マンチェスター・香川選手のサイン入りユニホームなど豪華賞品が協賛各社から用意され、当日券を含め1800枚近くのラッフル券の中から当選番号が次々に発表されると会場から歓声が上がった。特別賞の東京往復チケットは当選者不在のため、再度引き直すというアクシデントも。(途中で退場したあなた、当たっていたかもしれませんよ。)
 
 季節外れに暖かい日が続いていたが、やっとこの日冬らしい冷え込みとなったシカゴ。新年のご挨拶を交わし、美しい日本語の歌を堪能し、みなさんにとって良き年のスタートとなったに違いない。2016年も、日本、シカゴ双方にとって素晴らしい1年となりますように。




■ 由紀さおりさん・安田祥子さん特別インタビュー 
― おふたりが共に活動をされるようになったきっかけと、これまで続けてこられた秘訣は。
由紀:
(姉の歌の才能を見抜いた)幼稚園の先生から「将来は歌の世界に進んだら」と勧められて、姉が一足先に児童合唱団に入り、そのあと私が同じ合唱団に入団しました。

安田:そのあと私はクラシック、妹はポップス歌謡へとそれぞれ自分がやりたい音楽ジャンルに進んだわけですけれども、勉強していた時期は自分の音楽が一番だと思っていたので、音楽上相要れないこともありましたね。
 それぞれが各分野で活躍してお互いの音楽を尊敬しあえるようになり、そんなとき母からの「ふたり一緒の舞台に立てないの?いい歌にジャンルは関係ないでしょ?」というひとこともあって、親孝行もかねてふたりで活動を始めました。
由紀:基本的にふたりの音色は全く違うんですよ。ただ、合唱団で同じ先生に発声法などを習いましたのでこういうジャンルのものに関しては全く異質な感じなくうまく融合できた気がします。長く続けられたのには、(母が作った)同じ事務所に所属できたという事が大きかった気がします。
 (注目されるようになったのは)7年目のとき。ニューヨークで身寄りのない日系人の方々にクリスマスのターキーをプレゼントするための寄付金募集コンサートに呼んでいただきました。そのとき「10周年はカーネギーホールでコンサートをやりましょう」と言っていただき、それを目標に頑張りました。その後、ウィーン少年合唱団とアルバムを作り、15年目にはワールドツアーが実現しました。気が付いたら今年で30年です。

― 日本で学校を訪問して歌を伝える活動をしていらっしゃいますが、変化はお感じになりますか?
由紀:ふたりで学校を訪問して歌うようになって、もう15年になります。現在、日本の音楽の教科書には唱歌が4〜5曲入っているんですが、教えるかどうかは音楽の先生次第なので、子供たちが知っている曲の数は昔と比べてぐんと減りましたね。昔は4曲くらい一緒に歌ってくれましたが、最近はハーモニーまで覚えて歌ってくれるところが少なくなりました。卒業式でももう『仰げば尊し』も歌わないし、『蛍の光』を知らない生徒さんも多いです。世代の共通項が少しずつ減ってきている気がします。
― 今日のコンサートで「日本語はメロディー主体の言葉だ」とおっしゃっていましたね。
由紀:最近は日本語が“壊れている”時代。みんなが音楽を作れる時代になったことはいいことですけれども、セオリーや基本を知って壊すのと知らないで壊すのとでは壊し具合が違います。そういう意味でも、日本の歌の「原点」をわかってもらって今の歌を知ってもらうと、私たちのやってきたことの意味があるかなと思っています。
安田:昔の歌には、いかに子供たちに言葉と音楽を残したいか、与えたいかという先人の想いが込められているんですね。推敲を重ねたシンプルな言葉の中に深い意味やバックボーンを持っている、そんな歌を聞くチャンスがあってもいいんじゃないかと。その機会を私たちが作ってあげられればうれしいですね。

― 歌を通じて子どもたちに伝えたいことや望むことは?
由紀:目に見えないものを推しはかる、察知する力、人間力をつけてほしい。ある映画のキャッチコピーに「大切なものは目に見えない」というのがあるのですが、私はそのあとに「だから心で探さなくちゃね」と入れてほしいの。例えば、『ちいさい秋みつけた』の「ちいさい秋」はどんな秋か?それは季節の移ろいであり、ささやかな変化なんです。(作詞の)サトウハチロー先生が「誰かさん」もきっとそのささやかな変化を見つけて感じたに違いない、と加えたことで情景がわっと広がるんです。こんなところまで解釈を広げてもらえたらうれしいですね。
安田:子供たちには答えが一つでないということに気付いてほしいですね。いろんなことを想像してその中に選択肢がいっぱいある、という事を知ってほしい。「シャボン玉飛んだ・・・(『シャボン玉』より)」という歌詞では、命のはかなさをも唄っているんです。人を思いやる気持ちをもって豊かな感性になってもらいたいのです。

― 由紀さんは昨今、米ポートランドのバンド「ピンク・マルティーニ」と共演されたり昭和の歌謡曲をカバーしたアルバム(『VOICE』、『VOICE U』)も出されましたね。
由紀:ちょうど私のデビュー40周年のとき、もう一回歌謡曲にチャレンジしておかないと心残りになると思って再挑戦することにしました。再デビューするくらいのつもりで秋元康さんにプロデュースをお願いしにいったら、「ただ唄うだけじゃ客は来ないよ。『夜明けのスキャット』はラジオの時代の深夜放送のヒット曲だから、若い人にはそれがかえって新鮮かもしれないね」と。そんなときたまたまYoutubeで「ピンク・マルティーニ」が私の歌をカバーしているのをスタッフが見つけて、そのあと紆余曲折ありましたが、彼らと1969年の世界のヒット曲をカバーしたアルバムを作ることになりました。
 2011年10月に発売されたピンク・マルティーニとのコラボレーションアルバム『1969』(いちきゅうろくきゅう)は、翌年の「第53回日本レコード大賞・企画賞」をはじめ数々の賞を受賞。ロンドンや北米など海外ツアーも大成功を収めた。2012年の「NHK紅白歌合戦」では、ポートランドから生中継された。
 
 音楽は言葉を超えたエモーショナルなものなんですね。(NY、パリ、ロス、バーレーンなど、海外の公演では)みんな日本語で歌ったんですが、拍手喝采やスタンディングオベーションをいただいて、音楽はボーダレスということを実感したステージでした。また、日本の歌謡曲は世界に通用する歌であるということもはっきりわかりました。去年とおととしは、60年代のヒット曲や歌謡曲をカバーしたアルバムを、全く新しいサウンドで歌わせてもらいました。

― 昭和の歌謡曲を再び歌ってみて、いかがでしたか?

由紀:その時代の歌謡曲は、メロディアスな日本語なのよね。それにボキャブラリーも豊か。「身もだえする」、「たたずまい」とかね。今はメールやラインもショートセンテンスですから、文脈が作れない人が多くなりましたね。しかも全てタイプ打ちで横文字でしょう?1番、2番もなく歌詞を打つから、行間がないの。
安田:文字でその人を思い出す、という事もなくなっちゃったわね。だからとても覚えにくい。
由紀:(亡くなった作詞家の)阿久悠さんからはいつも、太いペンで書いた力強い自筆文字の原稿をいただきました。(『喝采』などで知られる作詞家)吉田 旺さんは、筆ペンで原稿用紙に縦文字でした。自体そのものが頭に入ってくるから、歌っているときにその人の文字が出てくるの。今はカラオケでも文字を追っているだけだし、テレビもカンペを読んでいるから言葉がこっちに伝わって来ない。それに、インターネットやナビに頼って覚える能力も磨かれていないような気がします。歌を覚えるということは、自分なりに情景を想像するわけだからとても大事なこと。だから、国語の本も音読したほうがいいですよ。日本語のイントネーションやアクセント、句読点によって本来の日本語の抑揚ができてきます。

― 昨日はシカゴの日本語学校で歌われましたが、子供たちの反応はいかがでしたか?

由紀:5〜6曲の予定だったのですが、皆さんとてもよく歌を知っていらっしゃって結局10曲以上一緒に歌いました。本当に楽しかったです。外国で暮らす子供たちのほうが反応は断然いいですね。以前ニューヨークに行ったときも、自然にウェーブを作ったりして。「ああ、セントラルパークで、ダイアナ・ロスを普通に聴いている子たちなんだな」と感じました(笑)。お母さま方のゆったり感もまたいいですね。同じ年頃のお子さんを持つ日本のお母様とは全然余裕が違うように感じました。
 また、外国でお子さんを育てていらっしゃる親御さんのほうが、日本語に対して敏感で子供に言葉を忘れさせないために歌を歌わせてくださっているということをより強く感じます。日本語は旋律で覚える言葉なので、今のうちにインプットしておいて、将来日本に帰った時に思い出せる下地作りをご家族や補習校の皆さんがやってくださっているのは、本当に素晴らしいし、うれしく力強く思いました。ぜひ続けてやってください。

(インタビュー内の写真は全てオフィシャルホームページより)


■子供の頃、ジュークボックスをみると必ず、由紀さおりさんの『手紙』をかけて唄っていた私が、ここシカゴで彼女にインタビューをしているという時の流れと不思議なご縁。透き通るような白い肌と声の美しさ、そして上品なユーモアセンスはまったく昔のままだった。声楽家・歌手としてだけでなく、発展途上国の子供たちの支援活動も活発におこなっている、安田祥子さん。幼児教育の専門家でもあり、子供たちに向ける優しい目線と情熱がとても印象的だった。歌の持つ力の大きさを実感し、日本人でよかったという意を強くした年の初め。海外に暮らす私たちにとって、これほどうれしい新年のプレゼントがあっただろうか!



  (2016年1月10日   文責・撮影:長野尚子 Text & Photo by Shoko Nagano )




■安田祥子さんプロフィール
小学生時代、ひばり児童合唱団に所属。童謡歌手として活躍(コロムビア)。
東京芸術大学 大学院修士課程修了。二期会会員・東京室内歌劇場同人。
ニューヨーク・ジュリアード音楽院、ロチェスター・イーストマン音楽院に学ぶ。
東京芸術大学講師を18年続け、コンサート活動に専心のため勇退、ボイストレーナーとしての功績も大きく、「劇団四季」などミュージカル出演者の中に、教え子がたくさん活躍している。
妹、由紀さおりと‘86年にスタートしたコンサートは国内外で2500回以上の公演を重ねる。日本の四季の移ろい、小動物や相手を思いやる気持ちなどをきれいな日本語で歌っている歌の数々を次代に手渡したいという思いから、講演会、子育てセミナーなどにも出演している。
2013年7月 童謡、唱歌などを通じ、日本語の美しさや日本人の心を広く伝えた活動が評価され、文部科学大臣表彰を受ける。
公益財団法人 プランジャパン 評議員
草苑保育専門学校 特任講師
NPO法人 音楽で日本の笑顔を 顧問
■由紀さおりさんプロフィール
小学生から高校生までひばり児童合唱団に所属。童謡歌手として活躍。
NHK歌のお姉さん、アニメの声優、CMソング(300曲以上吹き込み)などで活躍。
1969年「夜明けのスキャット」でデビュー。女優としても映画、ドラマへ出演、司会、バラエティなど幅広く活躍。1983年に出演した映画「家族ゲーム」では、毎日映画コンクールの女優助演賞受賞。姉、安田祥子と美しい日本の歌を次世代に歌い継ぎたいと活動を続ける。
2011年秋アメリカのジャズオーケストラPink Martiniとのコラボレーションアルバム「1969」をリリース。世界50か国以上で発売、配信され、世界的なヒットとなる。
日本の歌謡曲の魅力を世界に広めた点などが評価され、芸術選奨文部科学大臣賞など数々の賞を受賞。2012年秋紫綬褒章受章。2013年7月米ロサンゼルスにある世界最大級の野外音楽堂「ハリウッド・ボウル」でPink Martiniの公演にゲスト出演。ハリウッドデビューを飾り3夜連続で歌った。本年もバーレーンをはじめとして、世界でのステージは続いている。
2014年デビュー45周年を迎え、記念コンサートツアーを開催。
45th Anniversary album “VOICE” (EMI Records)をリリース。
2015年にカヴァーアルバム “VOICEU” (EMI Records)をリリース。
コンサート、少女雑誌などで活躍。
姉 安田祥子はクラシック界、妹 由紀さおりは歌謡界を目指す。1986年より姉妹でコンサート活動を開始し、今春、30年目を迎える。

●公式サイト:http://www.yuki-yasuda.com/




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