多佳子さんのイリノイこぼれ話

著者略歴 デイ多佳子

神戸出身。滞米生活21年目を迎えたフリーランスライター。カリフォルニアはバークレーに始まり、サウスダコタ、イリノイと東進して、いよいよイリノイ生活が一番長くなりました。シカゴ・イリノイ大好き人間です。最新刊「観光コースでないシカゴ・イリノイ」(高文研)が日本全国の書店、及び在米日系書店、アマゾンで発売中。
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   アル・カポーン

2007年1月28日付の「シカゴ・トリビューン」が、市当局者のぼやきの声を伝えています。「もうシカゴはカポーンとは関係ないんだ」。

シカゴといえばアル・カポーン。日本語ではアル・カポネ。 イタリア語では。。分かりません(笑)1920年代の禁酒法時代に大暴れしたカポーンはさまざまな映画に描かれて、世界中の人々に、シカゴはギャングが君臨する無法の町だという暗いイメージを植え付けたものだから、現代シカゴのクリーンなイメージを売りこみたい観光局がぶつぶつ言うわけです。 もうシカゴは、こわあい人のいない、きれいな街なのに。。。

いいじゃないですか。 おかげで、世界中から観光客が喜んでシカゴまでやってくるんですから。 はあい、私も行ってきましたよ。 カポーンさんのお墓参りです。

カポーンの名前が刻まれた墓石は二つあります。 なぜ二つなのか。墓にまでいろんな人々の錯綜する思いが渦巻いたのでしょうねえ。

 最初の墓石は、シカゴの南、マウント・オリベットにあります。回りを圧するかのように大きく直立した、しかも墓地では珍しい真っ黒の御影石です。 ぴかぴか光って、回りの墓が映っています。 

 イタリア語で刻まれているのは父親ガブリエルと3番目の兄サルバトーレの名。 二人の写真が入っていたのでしょう。 今は削り取られて、白い跡が残っているだけ。 その下に、アル・カポーンの名前が刻まれています。


 1947年、48歳で死んだアル・カポーンの遺体がフロリダから移されてきて、ここにいったん埋葬されたものの、観光客がつめかけて、墓を荒らしたり、この大きな御影石を倒したりするので、1952年、母親テレサが死んだときに、3人いっしょに次の墓に移されたとか。

その次の墓が、シカゴの西、ヒルサイドにあるマウント・カーメル墓地にあります。 大きな個人の霊廟が道の両側にたち並ぶ墓地の中で、カポーン家の墓はつつましやかなものです。 家族の結束の固いイタリア系家族のこと、死後も父母のもとに集合したのは、男7人、女2人の9人兄弟のうち、兄1人、弟3人、妹1人、そしてアル・カポーンの6人です。 どうやらカポーンの名前で苦労し、嫌になって、世間から身を隠してしまった兄弟もいるような。 イタリア生まれの長兄などは、なんと大西部ネブラスカで、弟に対抗するかのように禁酒法取締官になって、そこで人生を終えたらしい。有名人を家族にもつとやっぱり大変ですねえ。

 そして何よりも、アル・カポーンの妻、メイさん。 まだティーンエイジャーだったアル・カポーンとニューヨークで知り合い、どうやら「できちゃった婚」で結婚、それもイタリア系とは反目したアイルランド系の年上の女。 まさしく「ロミオとジュリエット」を地でいくような恋女房だったかもなのに、今、このマウント・カーメルの墓地に、メイの墓石はありません。 まるで「墓まで夫といっしょなんてぞっとする」と言ってのける、現代日本の中高年女性の気持ちを先取りしていたかのかもしれません。

メイは、夫の死後40年近くを生き、1986年4月、1928年から別居して移り住んでいたフロリダの老人ホームで亡くなっています。 わずか5年ほどのあいだに、年間収入1億ドルの「悪の王国」を築いた“ロミオ”も、やっぱ、ありふれた“夫婦の悩み”も抱えていたかもなあ。。。 足元のアル・カポーンの墓石を見ていると、ふっと笑みが口元にのぼりました。

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