多佳子さんのイリノイこぼれ話

著者略歴 デイ多佳子

神戸出身。滞米生活21年目を迎えたフリーランスライター。カリフォルニアはバークレーに始まり、サウスダコタ、イリノイと東進して、いよいよイリノイ生活が一番長くなりました。シカゴ・イリノイ大好き人間です。最新刊「観光コースでないシカゴ・イリノイ」(高文研)が日本全国の書店、及び在米日系書店、アマゾンで発売中。

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                生き残りを賭ける人

 地元の新聞で、この人のことを知ったとき、すぐにでも飛んでいって会いたい!と思いました。女性です。(笑)それもインディアン女性です。ええっ、デカブにいるの。ほんとにうれしい驚きでした。

 記事は、ローリー・トルバーさんのビーズアートを紹介していました。トルバーさんは、ウィスコンシン州北端、スペリオル湖に面したバッドリバー居留地出身のオジブウェ(チペア)族です。ああ、ウィスコンシン。。ロックフォードから90・39号線をまっすぐ北へ走ると、まもなく森と湖の世界へ。

 「イリノイには水も森もなくて、平坦で退屈ですよね。居留地の森はきれいですよ」と、トルバーさんが笑った。

 
 イリノイにはインディアン居留地がないことを、サウスダコタから移ってきた10年前は、どんなに寂しく思ったことか。居留地は確かにアメリカの中の第三世界ですが、どこへ行っても同じ店が並んでいるモール文化のアメリカには絶対にない開放感と優しさがあります。私が足しげく通った、サウスダコタのパインリッジ居留地は、あの当時、全米最貧の居留地といわれていました。それでも、おおらかな風が吹いているので、異教徒の私にとって、白人の町が息苦しくなると、よく居留地に車を走らせたものです。 今は、イリノイに退屈すると、ウィスコンシンに向かいます(笑)ウィスコンシンには、インディアン居留地がいくつもあります。

 このあいだも、グリーンベイ近くの、オネイダ居留地とメノミニー居留地へ行ってきました。やはりどこか貧しさが漂っていますが、パインリッジよりはるかに恵まれていると感じました。それもそのはず、1833年、イリノイのサーク族とフォックス族を率いたブラックホークが蜂起したとき、ウィスコンシンのオジブウェ、ホーチャンク、ダコタ、メノミニー族はみんな政府側について、ブラックホークと戦ってますから、なにかと"グレートファーザー"の覚えがいいんでしょうなあ。

パインリッジのオグララ・ラコタ族は、1890年のウンデッドニー大虐殺まで、最後まで政府に抵抗した部族ですから、やっぱりねえ。。(悲)

 トルバーさんが、一年に一度、親戚に会いに帰るバッドリバー居留地までは、車で7時間。カジノで部族経済を支えようとしていますが、やっぱりまだまだ貧しいそうな。でも、「白い人も黒い人も赤い人も黄色い人もみんな環になってつながっているのです」と彼女が言い、自分の子供たちにはオジブウェ語を教え、夏になると、居留地でスウェットロッジやビジョンクウェスト、サンダンスをすると聞くと、心がなごみました。

 トルバーさんがウィスコンシンからイリノイに出てきたのは1994年。2000年からデカブに住みながら、イリノイ各地の中学や高校で、ビーズやインディアン文化を教えているそうです。「みんな、インディアンのこと、知ってますか」「ぜぇんぜん、何も知りません」そうだろうなあ。「デカブに、ほかにインディアンの人はいるんでしょうか」「私の知る限り、誰もいないと思います」そうだろうなあ。

オジブウェ語を聞いたことがなかったので、少し話してもらいました。

 おお、英語のような破裂音や突出したアクセントのない、人里離れた山の中でつらつらと流れているせせらぎのような、メロディアスな音の連なりです。思わず、きれいですねえ、と言ってしまいました。でも、いつまでこの言葉が生き続けられるのか。居留地にはまだ話す人が残っているそうですが、次世代に伝え残していくには、部族全体の相当な努力が必要でしょう。

 自分たちの言葉が消えるーそれは、自分たちが消える、に似た焦燥感です。日本語は、日本語を話す人がつくる日本という国がありますが、500以上あったインディアン国は、一応条約と名づけてはいるものの、いい加減な交渉やら、戦争と病気、同化と自己決定権のあいだで揺れ続けた連邦政策などで、"消滅"の一歩手前まで追い詰められました。でも、なんとか生き残った。そして今、インディアン人口は増加しています。

 一方、日本はどうでしょうか。一応「国」はあるけれど、敗戦後の日米安保条約が、冷戦構造のなかで、日本を"守る"という発想で始まり、その後50年をかけて条約の解釈拡大が少しずつなされてきたことと、白人入植者からインディアンを"守る"ためと居留地を作り、インディアンを追い込み、やがてその居留地の解消すらもくろんだ連邦政策の変遷に、何がしかの類似性を見いだすのは、私だけなのでしょうか。

 すでに作家、水村美苗は「日本語が亡びるとき」という本を書いています。日本という「国」は、日本語は生き残れるのか。インディアンの歴史から学ぶことがあるのではないか。英語を母語としながら、日本語で小説を書く作家、リービ・英雄は、水村美苗に応えて曰く、「日本語をもって島国日本の内部だけを書いても、答えは出ないだろう」(「我的日本語」137ページ)

 トルバーさんは、オジブウェ語の名前を持っています。「ワセ オニクイット」―clear cloudという意味のその名は、トルバーさんのdignityでありintegrityそのものでしょう。でも、dignityやintegrityにあたる日本語は何。水村曰く、「日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである」(前掲書290ページ)
 平坦なとうもろこし畑の真ん中で、トルバーさんから、日本語人としてアメリカを生きるエネルギーをもらいました。


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