多佳子さんのイリノイこぼれ話

著者略歴 デイ多佳子

神戸出身。滞米生活21年目を迎えたフリーランスライター。カリフォルニアはバークレーに始まり、サウスダコタ、イリノイと東進して、いよいよイリノイ生活が一番長くなりました。シカゴ・イリノイ大好き人間です。最新刊「観光コースでないシカゴ・イリノイ」(高文研)が日本全国の書店、及び在米日系書店、アマゾンで発売中。
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   リンカーンのベッド

  ワシントンDCで、リンカーンが撃たれたフォード劇場を訪ねたことがあります。 それから、劇場の向かいにある建物「ピータースンハウス」も。 撃たれたリンカーンがかつぎこまれて、息をひきとった場所です。 かつては下宿屋さんだったそうで、建物の入り口は2階になっています。 血を流している、それも6フィート4インチの大きな男、しかも大統領をこんなせせこましいところで運ぶのは大変だったろうな、とその夜の騒乱を想像しながら、私は下宿屋さんの急な階段を上りました。

 中に入ると、すぐ細長い廊下になっています。 廊下の突き当たりが、リンカーンが死んだ部屋です。 部屋の中には入れません。 ベッドは入り口右手隅に置かれ、ものものしくガラスで囲まれています。 

 フォード劇場で撃たれたあと、リンカーンは一度も意識を取り戻すことなく、1865年4月15日の朝、ここで亡くなったわけです。
 
 部屋の前に国立公園局の係官が立っていて、いろいろ説明してくれるのですが、彼の説明の中でたった一言、私の興味をひいたものがありました。 

 曰く、「ここが確かにリンカーンが死んだ部屋なんだけれど、ここにあるベッドは本物じゃない。 本物はシカゴがもっていったんだ。」

 「シカゴがもっていった」―じゃあ、模造のベッドをなんでガラスでかこってるのよ。 いやいや、偉大なる人物が息をひきとった、その空間こそが神々しいのかも。

 「シカゴがもっていった」―そんな言い方しなくても。。 なんとも悔しそうなもの言いでした。 その吐き捨てるかのような調子が私の耳にこびりついたのです。 じゃあ、なんとしてでも本物のベッドを見に行かなくちゃ。 わざわざワシントンから運ばれた、リンカーンがまさしく最後の息を引き取ったそのベッドを。

 シカゴ歴史博物館の1階の一番奥に、そのベッドが置いてあります。 別にガラスでかこってありません。 どこにでもあるような小さなベッドです。 見に来た人のなかには、「これ、きっと複製だよ」と立ち去る人もいたぐらいです。

 なぜわざわざシカゴにリンカーンのベッドがあるのか。 ワシントンのあの下宿屋の部屋においておいたほうがよかったのではないか。 ベッド以外にも、リンカーンの棺おけのふさ飾りやら、リンカーンの血とされる血痕がついたタオル、リンカーンの髪、リンカーンの臨終にまぶたにおいたという50セント銀貨2枚なども陳列されています。

 博物館に聞いてみたところ、ニューヨーカーだったチャールズ・ガンサーという人が寄付したとか。 ガンサーさんは、リンカーンが死んだ時、まだまだ小さな町だったニューヨークシティの市長を1864年から66年まで務め、鉄道会社も経営していた人物です。 ふ〜ん、でもなんでシカゴに寄付したのでしょう、という私の問いに、そりゃイリノイはリンカーンに一番ゆかりの深い場所ですから、という答えが返ってきました。 そうかあ。。


 ピータースンハウスから持ち出され、紆余曲折?を経てガンサーさんに渡って、シカゴまでやってきたものには、先にあげたタオルの切れ端やら銀貨のほかにも、とうもろこしの穂で作ったマットレスに枕、ベッドシーツに壁紙の一部、床板の一部とあるわ、あるわ。 中には、リンカーンの臨終に付き添っていた外科医バーンズ将軍から持ち出されたり、リンカーンの銃創近くにあったという“証明書”つき髪の毛もガンサーさんから寄付されています。

 資料を見ていると、何やら臓器移植の是非をめぐる議論の場にでも立ち会っているような気がしてきました。 かわいそうに、リンカーンさんが息絶え絶えになっているのを横目に見ながら、何を持って帰ろうか、早い者勝ちだ、といわんばかりに、あたりをきょろきょろしていた不遜な輩もいたのではないでしょうか。

 ちなみに私が夢中になって読んだマイケル・カウフマン著「アメリカン・ブルータスージョン・ブースとリンカーン陰謀」によると、大きなリンカーンさん、小さなベッドにおさまりきらず、斜めに寝かされていたとか。医者たちは、といえば、56歳のリンカーンが頑強な筋肉質の体躯で、運動選手のような胸板と腕をもっているのに驚いたとか。 この身体がなかったら、撃たれてすぐに絶命していただろうとも。

 結局、集まった医者たちは一晩中なすすべもなく、リンカーンの脈がだんだん弱り、午前5時半、傷口からの出血も止まり、胸がかすかに音をたて、筋肉が弛緩、身体が動きを止めて、「ああ、これで終わりか」と時計をのぞきこんだと思いきや、6時50分、リンカーンは再びまた小さく息を吸いこみ、それからじっと静寂の中で待つこと半時間、やっと午前7時22分、最後の息をひきとったとのこと。

 博物館の隅に無造作に置かれたベッドの回りで、130年以上前のあの夜、たとえ一瞬でも人間の弱み・醜さがうごめいたかも知れない。 でもそれはもしかして、ケンタッキーの掘立小屋からホワイトハウスまで駆け上がったリンカーンもどこか同じで、十二分に承知していたかもしれない。 歴史家カウフマンが本の中で書かなかったことー誰がリンカーンのまぶたに銀貨を置いたのでしょうか。 展示によると、少なくとも6人もの人間が自分が置いたと主張しているそうですよ。 リンカーンさん、大きな銀貨2枚、閉じた目の上に置かれて重たかったですか。

 あたりに誰もいなくなったベッドの前で、私一人、心の中で合掌しました。


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