多佳子さんのイリノイこぼれ話

著者略歴 デイ多佳子

神戸出身。滞米生活21年目を迎えたフリーランスライター。カリフォルニアはバークレーに始まり、サウスダコタ、イリノイと東進して、いよいよイリノイ生活が一番長くなりました。シカゴ・イリノイ大好き人間です。最新刊「観光コースでないシカゴ・イリノイ」(高文研)が日本全国の書店、及び在米日系書店、アマゾンで発売中。

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                       ベニト・ホアレス 

 シカゴ川の近く、トリビューンビルの向かい、高層ビルのはざまで、寒風に吹きさらされながら寂しげに、でも堂々と立っている人がいます。まるで、シカゴの高層ビル群ににらみをきかせるかのように。ベニト・ホアレス。メキシコの大統領です。実際の身長は4フィート6インチ、137センチほどだったそうなのですが、偉業を成し遂げた人はやはり、オーラが人を大きく見せるものなのでしょうか。でも、なぜ、ホアレスさんがこんなところに。。。

1806年生まれのホアレスさんと、1809年生まれのリンカーンさん。同時代を生き、戦争を率き、国民に最も愛されている大統領として、常に比較、並び称されるらしいのです。メキシコシティ近くのポランコの町には、シカゴ歴史博物館の隣に立っているリンカーンさんと同じ像が立ち、シカゴには、ホアレス大統領が。なんで二人はそんなに仲良しなのか。

 国境を接するメキシコとアメリカは、現代の不法移民問題に先立つこと、昔からけっこう争ってきています。メキシコから独立したテキサス共和国のアメリカ併合に端を発した1846年の戦争では、連邦下院議員だったリンカーンさん、戦争は憲法違反じゃないのかと、時のポーク大統領に噛みつきました。張り切りすぎたのでしょう。一期、2年限りのワシントン生活となりました。(笑)その頃、ホアレスさんはオアハカの州知事です。専制政治批判をやって捕えられ、キューバからニューオーリンズまで流される亡命者となりますが、1855年、無事にメキシコに戻り、2年後には民主憲法を制定、大統領となりました。それからメキシコで内戦が始まります。そこへ、混乱に乗じるかのようにして、英仏がメキシコに兵を送ってきました。

 1861年1月、いよいよ大統領に選ばれて、さあ、これからもう一度ワシントンに乗り込んでやるぞ、と、スプリングフィールドで気合を入れていただろうリンカーンさんのもとに、ホアレスさんの部下、マチアス・ロメロさん―駐米大使でしょうかーがやってきました。そして、メキシコの民主化を支援してくれと依頼しています。まだ宣誓式も終えていないリンカーンさん、公式には何もできないが、offered "sincere wishes for the happiness, prosperity and liberty for yourself, your government and its people"と伝えられています。政治家ですなあ、真顔で美辞麗句を並べ、にこやかに握手して別れたのでしょうなあ。(笑)

 南北戦争の勃発は、リンカーンの大統領就任1ケ月後の1861年4月。二人の大統領は、「どうですか、そっちの様子は」と連絡をとりあうことも会うこともなく、ただ黙々と職責を果たした模様です。1862年の「子供の日」、ホアレスさんの軍隊がフランス軍を破ったおかげで、その後"シンコ・デ・マヨ(Cinco de Mayo)"が祝日に。1863年1月1日、リンカーンの奴隷解放宣言発効。二人の大統領は、人種の平等のために戦い、多民族文化社会の建設に貢献したと賞賛されています。

 でも、あまのじゃくの日本人は思うのです、二人は、ほんとは、まったくの「似ても非なるもの」じゃないの、と。(笑)
メキシコは、アメリカよりはるかに早く、1829年に奴隷制を廃止しました。ホアレスさんは純血のインディアン、もしくは黒人とのムラトー(混血)だったかも、といわれています。部族語を話し、スペイン語ができなかったインディアンが大統領になるーアメリカよりはるかに進んでいるではないですか。(笑)

 一方、リンカーンは、奴隷解放をした偉大なる人道主義者のように称えられますが、最後の最後まで、黒人をアフリカに送りだすことを考えていた人物です。インディアンのことなど、ふん、って感じだったでしょう。(笑)チェロキーやナバホ、ウィネバゴ族たちが自分たちの土地を追われ、また軍によるシャイアン族の虐殺が起きたのも、すべて南北戦争中です。リンカーンは、ふんって感じで、何の言葉も残さず、軍人には無償で土地を与えました。

 インディアンで、身長4フィート6インチのホアレスさんと、6フィート4インチのリンカーンが出会っていたら。。。リンカーンさん、ホアレスさんを真上から見おろして、ふんって、こともなく、happiness, prosperity and libertyを口にして、にこやかに握手したでしょうなあ。(笑)

 では、何が二人を結びつけるのか。「人民の、人民のための、人民による政治」が象徴するところのデモクラシーといった言葉でしょうか。ああ、政治家が作る歴史のうさん臭さよ、そんな言葉は、後世の人間の勝手な解釈に負うところ大なのではないでしょうか。(悲)

 それを思ったのは、黒船来航100年記念5セント切手をアメリカが発行したとき、駐米大使がアメリカ政府に贈った言葉を読んだときです。最初の切手セットは、大使を通じて、皇室に贈られたとのこと。ワシントンの国務省で、新木大使挨拶するに、「(前略)提督を日本に派遣し、日本の道を平和と国際交渉の方向に向けさしめた点で、米国ははかりがたい貢献をした。過去100年間に日本は農業的、封建的国家から近代的、進歩的国家に発展した。この国際的進展の過程で、日本ははからずも国際協調と提携から誤導されたが、再びほとんど米国の独力で、日本はその正常な道に復帰した。わずか1世紀のあいだに、米国の立派な影響が2度まで日本に与えられた事実の持つ歴史的意義を強調しすぎることはできない。(後略)」(シカゴ新報 1953年7月15日付) 大砲で脅されたのも、原爆も「米国の立派な影響」かなあ。。。物はいいようって、このことかも。(笑) 

 ホアレスさん、私は、あなたがすっくと立ち、目をまっすぐに前方に据えている姿が好きですよ。あなたがフランス軍を打ち破った年、私の国では生麦事件が起きました。デモクラシーといった難しい言葉より、もっと大事なものをあなたから感じるんですよね。

 ちょっと下向き加減で、陰鬱な感じのリンカーンさんが絶対にもっていなかっただろうものー誇りかな、有色人種としての。もっとメキシコの歴史を勉強したくなりました。(笑)



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