多佳子さんのイリノイこぼれ話

著者略歴 デイ多佳子

神戸出身。滞米生活21年目を迎えたフリーランスライター。カリフォルニアはバークレーに始まり、サウスダコタ、イリノイと東進して、いよいよイリノイ生活が一番長くなりました。シカゴ・イリノイ大好き人間です。最新刊「観光コースでないシカゴ・イリノイ」(高文研)が日本全国の書店、及び在米日系書店、アマゾンで発売中。

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                       マーク・トーウェン 

 ずっとずっと昔、小学生だった頃、マーク・トーウェンの「トム・ソーヤの冒険」を何度も繰り返して読みました。ペンキ塗りの話とか、こわあい悪党インジャン・ジョーの復讐とか、遊び仲間ハックのこととか。面白かったです。てっきり児童書だと思ってました。違うんですねえ。私が読んだのは、子供向けに簡単に書き直された、それもたぶん原本の香りからは程遠い翻訳物にすぎないと知ったのは、あれから45年、わずか先週のことです。(笑)

 イリノイの西の州境をなすミシシッピ河が大好きです。あのとうとうと流れる幅広な水の帯を見ていると、気持ちがゆったりしてきます。ミシシッピに比べると、ドイツで見たライン川なんて、近所の畑の間を流れるせせらぎに見えました。(笑)
ミシシッピのゆったり感が、どんな風に作品に漂ってるのだろ、と興味しんしんで、つい最近、ペンギンブックスの「The Adventures of Huckleberry Finn」を手にとり、読みかけました。分かりません。(笑)

 ハックの友達、逃亡奴隷のジムの言葉です。「'Yo' ole father doan' know, yit, what he's a-gwyne to do. Sometimes she spec he'll go'way, en den agin he spec he'll stay. De bes' way is to res'easy en let de ole man take his own way…」(68ページ)英語が母語の娘に聞きました。「お母さん、私も分からんよ。声に出して読んだらいいんだよ。」こりゃ、だめだあ。。(笑)

 トム・ソーヤもハックも、児童書どころか古典文学なんですね。方言あるいは話し言葉で書かれた最初の小説だとか。トーウェン自身は、既存の英語表現で間に合わなくなると、いろいろ自分で工夫して、新語を発明したそうです。へミングウエー曰く、「この作品以前に、アメリカ文学とアメリカの作家は存在しなかった」。げっ、私に分かろうはずがない。。。(悲笑)

 イリノイの州境―ミシシッピ河―を越えて西へ1時間ほど行った、静かな湖のそばの小さな村、フロリダが、マーク・トーウェンの生誕地です。なんと生家は、オリジナルの本物が、ミズーリ州によって今も大事に保存されています。すごい。ケンタッキー州のリンカーンの生誕地で、パルテノン神殿のような建物の中で、後生大事にプラスチックの壁に守られている丸木小屋なんてレプリカですよと、ミズーリ州の努力に感激して、思わず係の人に言ってしまいました。(笑)

 フロリダ村の生家が建っていた場所には記念碑が建てられ、「1835年11月13日、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンス、ここに誕生す。彼は、疲れきった世界を元気づけ、慰めた」と記してあります。そうです、私もマーク・トーウェンの言葉には心から元気づけられ、慰められました。感謝しています。(笑)

 白人上司を訴えるという7ケ月に及ぶ職場のごたごたには、「Whenever you find yourself on the side of the majority, it is time to reform」そうだ、そうだ。。(笑)ごたごたもいよいよ最終局面を迎えた今となっては、「It is better to keep your mouth shut and appear stupid than to open it and remove doubts.」わかりましたよ、これから気をつけます。(笑) 

 ミシシッピ河をはさんで、イリノイの対岸の町、ハンニバルには、トーウェンが少年時代を過ごした二階家が保存されています。道をはさんだ真向かいには、女友達のベッキーちゃんのおうちが。道を東に行くと、ミシシッピの青い厚い流れに突き当たります。川には多くの蒸気船が行き交い、汽笛を鳴らし、全米各地からやってきた多種多様な人々が川岸でざわめいていたに違いありません。もちろん、荷役につく数多くの奴隷たちも。

 当時ミズーリ州は、自由州イリノイと違って、奴隷制を認めていました。ハンニバル郡の人口の約4分の1、2800人ほどが奴隷でした。そして、白人家族の44パーセントが奴隷を所有していました。フロリダ村に住んでいたトーウェンの親戚も、奴隷を使って畑を耕したし、トーウェンの家族も、所有主にお金を払って、奴隷を借りていました。家内仕事でもさせていたのでしょうか。

 黒人たちを身近に感じながら育ったトーウェン、1853年、17歳のときにハンニバルを去り、以後、水先案内人や新聞記者やらさまざまな職業を経験します。もちろん南北戦争の初期には、南軍の民兵となって戦っています。

で、神戸で生まれ育った人間は思うんですよね、やっぱり人と物が自由に往来する、大きな空の下に広がる水のそばで生まれ、成長した者には、どこか共通した独特の雰囲気を持ち合わせているかも、と。(笑)水が流れていく先、まだ見たことのない"向こう岸"をどうしても想像してしまうんですよ、何があるのかな、どんな人がいるのかな、と。私も、四半世紀近くをかけて、神戸からイリノイまで流れてきました。ミシシッピの水を見ていると、またどこかに流れていきたくなりました。(笑)

 "水"といえば、文学者トーウェンは、こう言っています。「My books are water: those of great geniuses are wine. Everybody drinks water.」おお、これが売れる本が書けるコツですね。 私の文章ですか。ジントニックですねえ、癖がありすぎます。(笑)"水"―清濁すべてを飲みこんでしまう水―マーク・トーウェインの中に息づくミシシッピ河の原風景を、この言葉に見ました。


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