多佳子さんのイリノイこぼれ話

著者略歴 デイ多佳子

神戸出身。滞米生活21年目を迎えたフリーランスライター。カリフォルニアはバークレーに始まり、サウスダコタ、イリノイと東進して、いよいよイリノイ生活が一番長くなりました。シカゴ・イリノイ大好き人間です。最新刊「観光コースでないシカゴ・イリノイ」(高文研)が日本全国の書店、及び在米日系書店、アマゾンで発売中。

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                          嫌荷・風 

 私は、作家永井荷風を知りません。たった一冊本を読んだだけです。荷風が24歳だった1903年から4年間滞在したアメリカの見聞記、「あめりか物語」です。「市俄古(シカゴ)の二日」という短編が含まれているというので、読んでみました。読後感想は、いやな奴ちゃあ。。(怒)それっきり、となりました。(笑) 

 何がいやだったか、というと。。かつて(もしかして今も??)移民といえば、どこか「棄民」と同義語のようなイメージがもたれたのは、この荷風のせいじゃないか、と思ったからです。荷風がワシントン州タコマにやってきたのが1903年。前年1902年の日英同盟締結と、翌1904年の日露戦争のあいだで、日本がいよいよ世界の大国の仲間入りをしたと、肩で風を切るようにしていただろう時代、父親は尾張藩士の長男、明治初めにプリンストン大学に学び、文部省から大臣官房会計課長、退官後は日本郵船会社の幹部という「ええとこの坊ちゃん」が、思う存分書いてくれたのが、アメリカの最底辺で必死で生きている「日本人デカセギ労働者」の生態です。「日本人のたくさんいる下町のほうへは出かけぬほうがいい。いささかでも体面を重んじる人の足を入れべきところでない、と厳しく注意されていた」(「シアトル港の一夜」)にもかかわらず、行って見たのが、金に困るその日暮らしでも、酒、女、博打に溺れ、発狂までする“哀れな”日本人たち。。読みながら、情けがりながらも悦に入っているような、“体面を重んじる”エライ人の冷たい視点に本気で腹が立ってきました。(笑) 

 で、自分は、といえば、「西洋婦人の肉体美を賞賛する第一人で、その曲線美の著しい腰、表情に富んだ眼、彫像の様な滑な肩、豊な腕、広い胸から、踵の高い小な靴を穿いた足までを愛」(「夏の海」)したそうで、ニューヨークでは、ロザリンというブロンド女性と、「半時間あまりも、夜霧に衣服の重くなるまでも、二人は何の語もなく相抱いたまま月中に立竦んで居た」(「六月の夜の夢」)そうな。ふん、かっこつけるな。(笑) 

 化けの皮をはがしてやろうと思って(笑)、中西部での荷風の足取りをたどりました。「イリノイス州の寂しい片田舎」で、「市俄古を出てから4時間ほど。何処を見ても眼の届く限りは玉蜀黍(とうもろこし)の畑ばかり」の、「暫く語学の練習をする目的で、その時滞在して居った市俄古の都会からはミスシッピーの河岸の沿うて凡そ百マイルあまり、人口4千に満たざる小さな田舎町に建てられた」(「岡の上」)カレッジに行ってたそうな。ふ〜〜ん、クインシーあたりかな。。1904年11月に入学したミシガン州カラマズーのカラマズーカレッジには、「永井壮吉」の名前で学籍簿が残っていましたが、なんと最初の秋学期、冬学期、春学期に、First Year French1科目をとってただけじゃないですか。英文学なんて勉強してませんよ、伊藤さん。(伊藤一男著「シカゴ日系百年史」87ページ)

 文化クラブで「日本プログラム」が催されたときは、尺八を吹いたり、The Japanese Newest Play of New Japanという演題で発表したりはしたようですが。。

 伊藤氏曰く、「米国中西部で尺八を吹奏したのは永井荷風が第一号ではなかったろうか」とか。ふん、どうだか。(笑) 

 当時のカラマズーカレッジの学生数は219人。日本人学生は荷風の他に、クリスチャンの加藤かつじさん。この加藤さんがまじめだった。1885年12月大阪に生まれ、荷風より2ケ月前の1904年9月にカレッジに来て、寮生活を送り、準備クラスで、ギリシャ語など3科目を1年間履修、正規のクラスでもドイツ語やら化学、心理学ときっちり単位を取得して、1909年にカレッジ初めての日本人として卒業。

さらにシカゴ大学神学校に進学、牧師となって、1913年に、論文「The Psychology of Oriental Religious Experience: A Study of Some Typical Experiences of Japanese Converts to Christianity」を書き、神学博士号まで取得した人です。カレッジの出版物を見ても、剣道や日本女性の姿、鶴や松など日本的な風物の挿絵を書いたり、着物を着て日本の話をしたり、荷風の尺八といっしょに歌を歌ったりと縦横無尽の活躍ぶりです。  

 で、思うに、親からもらったお金で一軒家に住み、ふらふら遊んでるだけの「ええとこの坊ちゃん」、このまじめな加藤さんがよっぽどけむたかったのではあるまいか。 

 短編「春と秋」は、カラマズーカレッジが舞台です。登場人物は男二人に女一人。神学生の山田太郎と竹里菊枝、そして「相当の資産ある家に生まれた身を幸いに米国に渡」り、時間さえあれば、女を品定めし、女と遊ぶ妄想ばかりしている大山俊哉です。娯楽のない毎日で一計を案じた大山、うぶな菊枝に臆面なく言い寄り続け、そのうち「久しく夢みて居た通りな幸福の人となった。幸福―それは若い新婚者のみがひそかに神に謝し運命に謝する幸福である。」(ふ〜〜〜ん、のちの文豪ともなれば、こういう表現をするのか。。笑)

 まもなく大山は、菊枝を捨てて東部に去りますが、何年かしてから東京で、ミシガンの雪嵐の夜に森の中をさまよい自殺しようとした菊枝と結婚した牧師の山田と再会。「大山さん、私は今日では決してあなたの罪を咎めは致しません」と言われ、「兎に角クリスト教は決して世に害を為すものでない事だけは明瞭だ」とうそぶき、くわえている葉巻の煙を吐き出すという話です。要するに、自分が手をつけて捨てた女をひきうけたまじめな牧師をおちょくっているわけです。げっ、いやな奴。。(笑) 

 荷風の母親がクリスチャンで、義弟もプロテスタントの牧師だったというから、このあたりは、かなり屈折したマザコンぶりではないでしょうか。げっ、いやな奴。。(笑) 

 荷風が住んでいたという家を見てきました。アムトラックの鉄道線路のそばにある普通の二階家です。ひっきりなしに日本人がわざわざ見にくるのを、大家さんは長年不思議に思っていたとか。(笑)カレッジのクラブでは、「黄渦論は西洋文明への脅威か否か」とか、「日本にとって、ポーツマス条約は不公平か否か」といったディベートが行われ、加藤さんが孤軍奮闘していただろう時に、「ええとこの坊ちゃん」は、毎日そばをごとごとと通過していく列車の音に、未知の土地で
これから出会うだろうアメリカ人女性の「華美な、無邪気な、奥底の無い、アメリカの処女特有の優しい声」(「市俄古の二日」)を想像しながら(処女特有の優しい声って、どんな声やねん。。ああ、いやな奴(笑)、「太くして短い腕、芋虫のように形を失った指の形。。日本の女学生というものには、どうしてこのようなタイプの女が多いのであろう」(「春と秋」)と頭を悩ましてたんじゃないの。。ああ、いやな奴。。(笑) 

 荷風にとってシカゴは「Ah, monster」(「市俄古の二日」)だったそうな。ふん、あんたにシカゴのことはわかんないよ。。ああ、嫌荷・風(笑) 


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