多佳子さんのイリノイこぼれ話

著者略歴 デイ多佳子

神戸出身。滞米生活21年目を迎えたフリーランスライター。カリフォルニアはバークレーに始まり、サウスダコタ、イリノイと東進して、いよいよイリノイ生活が一番長くなりました。シカゴ・イリノイ大好き人間です。最新刊「観光コースでないシカゴ・イリノイ」(高文研)が日本全国の書店、及び在米日系書店、アマゾンで発売中。
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   戦争の記憶

 太平洋からも大西洋からも遠く離れたイリノイのこと、戦争とはあまり関係がないと思っていらっしゃる方も多いかも。 太平洋戦争なら、ハワイの真珠湾攻撃や西海岸の日系人の物語が主に語られるのが常ですから。

 でも、私がこの場所を訪ねたときは、たとえ内陸部のイリノイであっても、戦争の歴史からは逃げられないと悟りました。 人間が戦争をはじめ、戦場に行かされるのはいつも名もなき生身の人間、そしてその歴史を語り継ぐのもやはり同じ無名の人間という現実を目の前につきつけられたのです。

 イリノイ中部に、無名時代のアブラハム・リンカーンが町の名付け親となった、リンカーンという小さな町があります。 人口1万人の町のはずれに空港があって、その一角に小さな展示場があります。中で所狭しと展示されているのは、第一次・第二次大戦やベトナム戦争で使われたガスマスクや軍服、ヘルメットといった軍用品の数々、そして戦場から持ちかえってきた「おみやげ」―戦利品なのです。

 現代では、もうそんなにたやすくは見られなくなっただろうナチ第三帝国の旗―ハーケンクロイツが壁いっぱいに張られ、ヒットラーの写真やメダル、コイン、勲章などがガラスケースにいっぱい並んでいます。 

 振りかえれば、もちろんそこには日本の古い旭日旗や日章旗が。 胸を突かれる思いをしたのは、ガラスケースの中の古いマッチ箱を見たときです。 ガダルカナルで撃ち落とされたゼロ戦の部品とやらと並んで、「つるが?」の戦場で拾ってきたマッチ箱と説明にありました。 

 マッチが何本入ったか非常に疑問に思われるひらぺったい箱はもう薄茶に変色し、今にもつぶれそうですが、箱に描かれた、地平線から昇る真っ赤な太陽の絵柄ははっきりと残っています。

 昔の若者たちが信じた、いや信じるように徹頭徹尾教育されたこの輝く旭日の絵を見ていると、私がたった一度だけ聞いたことがある、力強い男性合唱の歌声がよみがえりました。 「見よ東海の空明けて 旭日高く輝けば 生気の天地はつらつと。。」「愛国行進曲」です。 このマッチ箱を持っていた人はどんな人だったのだろうと、ふと想像した瞬間です、戦後60年経っても、日本人は敗戦国民だという歴史からは絶対に逃れられない、という思いがたちのぼりました。

 経済大国にまで成長した日本だけど、アメリカには負けたのです。 それは厳然たる事実です。 日本占領下のフィリピンで使われていた軍票も並んでいました。 勝利に酔うアメリカ人兵士たちが、意気揚揚と持って帰ってき、ここに寄贈したのでしょう。 イラクの旗もすでに壁にかかっていました。 よく見ると、「リメンバー・パールハーバー」や「バイ・アメリカン」のスティッカーも並んでいるではありませんか。

 大都市シカゴゆえに、イリノイは民主党州ですが、シカゴを一歩離れると共和党一辺倒でしょう。 そして思うのです、アメリカをほんとうに動かしているのは、毎日誇りをもって、鉤十字や旭日旗を眺めている人々ではないのだろうか、と。

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