SHOKOのシカゴ郊外の町から


著者略歴 長野尚子

イリノイ州在住フリーライター。
2001年、大手出版社の制作ディレクターを退職後、単身アメリカへ留学。
その後帰国し子育て関連誌の編集者を経て、結婚を機に 2006年3月より再びカリフォルニア州バークレー市へ。
主に教育・子育て、国際文化交流をテーマに人脈を広げながら執筆活動中。
2007年10月より、研究者である夫の仕事の関係でシカゴ郊外に移る。
趣味・特技はJazz(ピアノ&ヴォーカル)、剣道(四段)。好きなことは食べることと飲むこと。
バークレーでの3年間の留学生活を綴った「たのもう、アメリカ。」(近代文芸社)発売中。


バックナンバー
                「オバマ新大統領誕生に沸く、“地元”シカゴ」
 

アメリカが酔いしれた、新大統領選誕生の瞬間

 2009年1月20日、第44代オバマ新大統領の就任式が首都ワシントンで行われました。アメリカの大統領就任式では史上最高の100万人を超す人たちがアメリカ全土や海外からこの歴史的瞬間を一目見ようと詰めかけ、長い悪夢からの解放に狂喜しました。

 この日は地元シカゴも大祝賀ムード一色。州内の学校は中継を見ながらの“特別授業”に切り替わり、老人ホームや病院、カフェやレストラン、水族館や証券取引所でも、食い入るようにテレビスクリーンを見つめる人々の姿がありました。

 メインストリートのミシガン通りには巨大スクリーンが設置され、集まった人々は小雪の舞う寒さの中、喜びをかみしめ立ち去ろうとはしません。オバマ氏が熱烈なファンであるシカゴ・ホワイトソックスのホーム、U.S.セルラー球場は特別に開場され、2005年のプレイオフゲームで始球式をするオバマ氏のビデオがスコアボードに流される中、球場スタッフやこの日招待された地元の小学校の生徒たちがスクリーンで就任式を見つめました。

 これより約2ヵ月半前の2008年11月4日。大統領選のオバマ氏勝利の瞬間を分かち合おうと、シカゴ・グラントパークには約10万人の群集が詰めかけていました。黒人も白人も、ラティーノもアジアンも、老いも若きも、アメリカ国民もそうでない人たちも。

 また、この日のラリーには若者、とりわけ大学生から20代〜30代の人たちが圧倒的に多かったのも印象的でした。一瞬にして職も退職金も失い途方にくれる親たちを間近に見た若者たち。彼らが「変革」の二文字をオバマ氏に託し、一票を投じた結果が今ここに示されたのです。史上最悪の金融危機、ふたつの戦争をかかえ出口の見えないアメリカが見出した一条の明るい光。行く先はまだまだ険しくとも、その光を見つめる人々の顔はみな希望にあふれ、心はひとつにつながっていました。観衆のひとりがこのときの光景をこう表現しています。「まるで、第二次世界大戦が終わったときのようだ」と。 

自作の“選挙開票マップ”をまとった学生

オバマ氏の心のルーツ、シカゴ“サウスサイド”

 オバマ氏がシカゴにやってきたのは今から24年前。アメリカ人の母とケニア人の父の間に産まれハワイで育った彼は、コロンビア大学卒業後、高給の職を捨ててシカゴのサウスサイドに移り社会活動家としてのキャリアをスタートさせます。サウスサイドは、黒人の貧困層がひしめく全米でも屈指の犯罪多発地域として知られる地域。そこで貧困と人種差別の撲滅という理想に燃え、活動を続けたオバマ氏。黒人でも白人でもない自分のアイデンティティーに悩み、人種差別に苦しんだ若き日の自身の経験を逆に強みに替え、サウスサイドという難関にあえて身を投じた彼は、しかし、社会活動家としての限界をも実感することになります。「この窮状を根本から変えるには行政の力が必要だ。それにはより高い英知を身につけなければ」

 シカゴを離れ、ハーバード大のロースクールで学んだのち、その決意どおり再びシカゴに戻り、地域の人々のためにより精力的に働き始めます。シカゴ・サウスサイドは、オバマ氏の“ルーツ”。ここで過ごした日々が、彼の揺ぎない政策の「軸」へとつながっていったのです。彼の言葉の放つ力強さ、説得力は、大衆の苦しみを肌で感じ取った経験によって培われたもの。その意味でも、 オバマ氏とシカゴ市民にとって“地元”という言葉は、単なるイリノイ選出の議員という意味を超えた深い絆を意味しているのです。 

忘れることのない母の怒りと、マイノリティに与えた勇気

 ところで、大統領選の期間中、「オバマチャンネル」というケーブルチャンネルがありました。オバマ氏の生い立ちや経歴紹介のほか、ミシェル夫人との馴れ初めや父親としての顔などプライベートまでをまとめたプログラムが24時間繰り返し流されていたのですが、その中でオバマ氏が亡き母の思い出を語るシーンがあります。「ほとんど怒ることのなかった母が唯一怒りをあらわにしたのは、肌の色など生まれならの違いによって人が人を差別したときだった」。

 幼心に深く刻み込まれた母の怒り。それがその後の彼の原動力となり、“アメリカの縮図”ともいえるシカゴ・サウスサイドへと向かわせたのかもしれません。そして2004年、彼の名を一躍全米中に轟かせたあの伝説の民主党大会での名演説につながっていくのです。

 「There is not a liberal America and a conservative America ? there is the United States of America. There is not a Black America and a White America and Latino America and Asian America ? there’s the United States of America.(リベラルなアメリカ、保守的なアメリカなどというものはない。あるのはアメリカ合衆国だ。黒人のアメリカも、白人のアメリカも、南米系のアメリカも、アジア系のアメリカもない。あるのは、合衆国アメリカなのだ。)」

 オバマ氏が黒人初の大統領に選出されたことで、黒人はもとより、アメリカで生きるマイノリティ(白人以外の人たち)、とりわけ子どもたちに与えた勇気は計り知れません。地元シカゴのテレビ局のインタビューで、サウスサイドに住む黒人の小学生が目をキラキラと輝かせながら語っていました。「大きくなったら、オバマ氏のような大統領になるんだ!」 

日増しにヒートアップするオバマフィーバー

 オバマ氏が大統領選で歴史的勝利をおさめてからというもの、シカゴはもうオバマ氏一色。新政府準備室をシカゴに設けていたこともあり、新聞各紙は毎日のように、オバマ氏の行動スケジュール、なじみのレストラン、好きな食べ物、行きつけの床屋さん、ミシェル夫人のひいきのデザイナー、選挙中の応援ソング・・・と、“オバマ・トリビア”合戦。存在する“オバマTシャツ”だけでもすでに100種類を超え、つい最近ではオバマ氏が大ファンだという漫画「スパイダーマン」にもオバマ氏が登場するなど、まるでロックスターとハリウッドスターが一緒になったような人気加熱ぶり。オバマ氏のみならず、ふたりの娘たちが着た洋服は即品切れ状態になり、ミシェル婦人と食事をしたレストランや買い物をしたブティックも大盛況するなど、経済効果も絶大のようです。娘たちとの“公約”だった、ホワイトハウスで新たな家族となるはず(目下選定中)のpuppy(仔犬)が決まった暁には、その犬も品切れ(?)になることはまずまちがいありません。

「A new era of responsibility」の幕開け

 就任式典後の舞踏会。生まれたばかりの“ファーストカップル”が歌姫ビヨンセの歌うエタ・ジェームスの往年のヒット曲『At Last』に合わせて踊るその姿は、まるでディズニーの映画のワンシーンを見ているようでした。黒人歌手の歌に合わせて、黒人の大統領夫妻が踊るこの光景を、60年前にいったい誰が予想できたでしょう。

 しかし、ダンスではアメリカは救えません。新大統領誕生に沸くワシントンとは対照的に、この日のNY市場は大統領就任日としては史上最悪の下落率を記録し、各地では今なお数百万人の人たちが職を失うという現実。興奮と熱気から醒めたアメリカは今、オバマ新大統領のもと再生ヘの道を歩み始めました。「a new era of responsibility ― 国民一人ひとりが自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、困難な仕事に全力で立ち向かい、その責任を果たしていく新しい時代」が幕を開けたのです。これは、アメリカ人だけでなく、アメリカで暮らすすべての人たちに向けられたメッセージであり、全世界に向けたメッセージでもあります。 “children’s children(我々の子孫)”に何が残せるだろう、それまでにどれだけ進歩することができるだろう・・・これが私たちに課された責任だと。そう、あのサウスサイドの子どもたちの夢がかなえられるためにも。

 オバマ氏は今、昔と何一つ変わらぬ理想を胸にサウスサイドからアメリカへとその舞台を移しました。1月20日の中継の最後に、キャスターが静かにこう締めくくりました。

 「バラク・オバマはもう、シカゴのものではありません。今日からアメリカのもの、そして世界のものになったのです」 



      
                             バックナンバー


ホーム | 初めての方へ | お問い合わせ | 投稿者&ライター募集中! | 規約と免責事項 | 会社概要

Copyright (c) 2005 US Shimbun Corporation. All Rights Reserved.