SHOKOのシカゴ郊外の町から


著者略歴 長野尚子

イリノイ州在住フリーライター。
2001年、大手出版社の制作ディレクターを退職後、単身アメリカへ留学。
その後帰国し子育て関連誌の編集者を経て、結婚を機に 2006年3月より再びカリフォルニア州バークレー市へ。
主に教育・音楽、国際文化交流をテーマに人脈を広げながら執筆活動中。
2007年10月より、研究者である夫の仕事の関係でシカゴ郊外に移る。
趣味・特技はJazz(ピアノ&ヴォーカル)、剣道(四段)。好きなことは食べることと飲むこと。
バークレーでの3年間の留学生活を綴った「たのもう、アメリカ。」(近代文芸社)発売中。
www.ShokoChicago.com

バックナンバー

アジアン・ポップアップ・シネマでアメリカ初上陸
『サバイバルファミリー』
矢口史靖監督 特別インタビュー イン シカゴ


 「インターネットやコンピューターが生活の中に入ってきたとき置いてけぼりをくらったボクは、いっそのことそんなもの世の中からなくなってしまえばいいのに、と思っていました」 突然電気が消えた世界で思考停止に陥る人間社会を皮肉たっぷりに描いた『サバイバルファミリー』の矢口史靖(しのぶ)監督は開口一番、この映画を作る個人的きっかけ(恨み)を話してくれました。
 シカゴでのアメリカプレミア上映前日、奇しくもイリノイ州では10個の竜巻が発生、一部地域では数時間電気が止まるという異変が。そんな手荒い歓迎のなか行われた“嵐を呼ぶ男”矢口監督へのインタビュー。映画を観るたび、映画そのものよりもむしろそれを作った“監督を生み出したもの”のほうに興味が湧いてしまう性質の私ですが、さて、矢口監督ははたしてどんな人?
※ ネタバレがありますので、まだ映画をご覧になっていない方はご注意ください。




シカゴは初めてですか?

― 2回目です。前はもういつだったか忘れるくらい昔。シカゴは東京より暖かくてびっくりしました。(※ちなみにこの日の気温は2月にはありえない16℃)着いてからちらっと市内を車で見て回りました。電車の高架下を走って、映画「ブルース・ブラザーズ」っぽいなぁって堪能しました。

今回アメリカプレミアですが、これまで海外でのお客さんの反応は、日本と比べてどうでしたか?

― マカオのときのお客さんは、日本人よりも笑いにとても貪欲で楽しもうという姿勢が前面に出ている感じがしました。日本人はどちらかというと非常におとなしくて静か。感情を外に表さないので、楽しんでいるんだろうか?と首をかしげるときがあります。でも映画が終わった後は「すごく面白かった」と言ってくれるので、楽しんでないわけじゃないんです。

アメリカの映画館は、お客さんが笑ったりしゃべったりうるさいですよ。

― 「危ない!」とか「逃げろ」とか(笑)。今のシーンがどうだったとか、お隣同士でしゃべってたりね。僕はそれくらいのほうが好きですけど、日本でそれをやると「ちょっと迷惑なんですけど」って怒られる。それっておかしいですよ。

おかしいのか、そうすべきなのか・・

― いや、おかしいですよ。エンターテイメントなんで楽しんだもの勝ちでいいんです。おしとやかに鑑賞しましょうと言う風潮は、僕が作った映画でいうと「そうじゃないんですけど」と言いたい。

ご自分が観客のときはどうですか?

― 表には出しませんね。まさに日本人的な。でも、同じ日本でも大阪は日本人離れしているというか(笑)。本当に日本かなと、いうくらい爆発的に楽しんでいます。

      
       Photo/Asian Pop-Up Cinema/Anna Munzesheimer


「サバイバルファミリー」の構想は早くからあったそうですね。

― 電気がなくなる、という映画を撮りたいと2002年ごろからずっと考えていました。ところが東日本大震災が起こり、実際に被害に合われた方々の痛みを考えるともうこの映画はやっちゃいけないんだ、と思っていて。でも、それから2〜3年たってみると被災地以外の地域の人たちが案外痛みを忘れてしまっていて、災害に備えようとか備蓄しようという意識が薄れてきていたんですよね。なので逆にこのタイミングでやっとかなきゃいけないんじゃないか、と思って作りました。

全てオールロケでの撮影だったそうですが、どのように準備をされたんですか?

― この映画は、事前のインターネットリサーチなどをせずに、スタッフが地道にロケ地を探し、僕が直接現地に出向いてただお願いしてそこを貸してもらうという「愚直」なやり方を通しました。スタジオの撮影は一切なしで、全てロケです。出逢った人や時間など、あのタイミングだったからできたわけで、その前でも後でもおそらくダメだった。もう二度と同じ場所で同じロケはできないと思います。

(c) 2017 FUJI TELEVISION NETWORK / TOHO / DENTSU / ALTAMIRA PICTURES, ALL RIGHTS RESERVED


その方法にこだわったのは?

― 本物の景色の中に突然普通の家族が放り込まれて、何もできない状態のまま生き延びるために放浪していく、という様がちゃんと撮りたかったので。本来なら、グリーンバックの空調の利いたスタジオで安全が確保された状態でやるべきシーンが多かったんですけど、今回に関してはCGなどの映像技術を使わないほうがいいと思って僕が行く先々で俳優さんに「本当にやってください」とお願いしました。最初は都会のシーンでまだ楽なんですが、後半にいくほど過酷になっていって、豚を追いかけたり冷たい川に入ったりと、みなさん本当にボロボロになっていました。あの家族が疲労困憊して死ぬかもしれないって必死に見えるのは、本当にそういう状況だったんです。

ロケ先で思いがけないことが起こったりしましたか?

― (家族が早朝に着く)大阪通天閣のシーンで、朝いちに撮影ができるように前の晩の夜中過ぎからごみを散らかして準備しました。で、いざ撮影というときに朝まで飲み明かしていた酔っ払いの方々が一斉に店から出てきて「お前ら何やってんだ!」って(笑)。その方たちに事情を説明して説得するのが大変でした。別の場所にお連れして謝りつつ、その隙に撮影しました。
 あと、水族館のシーンは大阪で撮影しようとして探したんですけど、「水族館の魚を食べ物として提供する」という内容に賛同してもらえるところがなかったんです。ただひとつ、神戸の「須磨海浜水族園」だけが「うちだったらやってもいいよ」と言ってくれました。

どうしてでしょう?

― 神戸の震災の時に、避難民を受け入れてに炊き出しをしたり、建物を提供して何週間も一緒に過ごしたそうなんです。映画の内容を説明したところ、「確かにこの状況だったらうちはきっとやります」と言っていただいてあのシーンが成立しました。だから、ここのOKがなければあのシーンはなかったんです。こんな感じで、脚本を書く前に取材でいろいろ体験したことが、他にも映画には盛り込まれています。

例えばどのような実体験がシーンに?

― 機関車に乗っていてトンネルの中で窓開けると、炭で顔が黒くなるとか。バッテリー補充液や猫の缶詰なんかも、みんな実際に食べてみました。
 映画を撮る前にじっくり取材をして自分で絵コンテを書くのが、ボクは大好きなんです。今回脚本を書く前に、映画の内容を全く知らない人たちにアンケートをとってみたんです。「朝、目が覚めると電気が使えなくなっていたらあなたはどうしますか?」という質問だけ。4〜5枚のシートで、めくるたびに「1週間後は?」「1か月後は?」「1年後は?」と尋ねる。この結果が実に面白くて、20代くらいの若い人たちは1か月くらいでほぼ全員死んじゃっているんです。「自分の部屋で孤独死しています」とか(笑)。年齢が上にいくほど「海辺で釣りしてます」、「学校のグラウンドを畑にしています」、「自給自足しています」とかいうふうに、生き延びているんですよ。スマホとかインターネットとか、生まれてずっとデジタルネイティブに生きている人たちにとって、情報のない世界に生きている自分が想像できない、ということにとてもショックを受けました。都市部ほどそうなんです。

日本人の“サバイバル能力”は、外国人と比較して弱い?

― わかりません。ただ、東北の震災の時も感じましたが、直接的な暴動とか派手な略奪とか起こらないんだ、ということは体験しています。

確かにそうですね。

― この映画でいうと、これはデザスター(災害)映画ですけれど、災害そのものが起こった瞬間を誰も見ていないんです。その瞬間を目撃していればまだ危機感を味わうけれど、ほとんどの人が目撃していない。ヤバいことになっていると認識するまでに個人差があって、じわじわと死が近づいてきていることに銘々バラバラに怖くなってくる、そこが変な映画なんです。

変な映画(笑) 

― 持たざる者が持つ者から奪いたい、でも全員いっぺんに失っている状況で何が奪えるのかというと、金も宝石も役に立たない。食べ物がどこにあるのか、ただそれだけ。暴動にもなりえないんです。みんな腹ペコだから。

犬も腹ペコ。


― 豚、犬、カラスや虫までいろいろな動物が登場しますが、食物連鎖の一番上にいるはずの人間が、実は一番弱いんです。便利なものがないと一番先に人間がダメになっちゃうというのを一番見せたかったんです。

監督ご自身のサバイバル能力はどうですか?

― 僕自身は田舎もないし、アウトドアの経験もありません。サバイバルできないタイプだと思います。親戚一家が住んでいるのが日本の南端の海の近くの田舎町で、父は釣り、母は畑仕事が趣味なんです。年に1回だけ1週間くらい遊びに行くとすぐに退屈して東京に帰りたくなっちゃうんですけど、あのふたりにとって、ある日電気がなくなっても、日本が崩壊しても日常は全くわからないんだろうな、と(笑)。地方に行くとまだそんな生活が現存しているというのは、参考になりました。

主人公の鈴木一家と比べて(高速道路で出合う)斉藤一家は、あの状況をむしろ楽しんでいましたね。

― そう。あっちが正しいんです。あんな風に生きられたら長生きもできるし、ポジティブな考え方をしていれば病気にもなりにくいと思うんです。鈴木一家はたまたま運が良かったからよかったものの、もし似たような家族だったら途中で野垂れ死にしているはずなんです。

(c) 2017 FUJI TELEVISION NETWORK / TOHO / DENTSU / ALTAMIRA PICTURES, ALL RIGHTS RESERVED


この映画では「父性」の変化がポイントですが、ご自身とお父さんとの関係は?

― 映画の父親は現代人の一番ダメなお父さん像を凝縮したので、率先してダメなことをしてもらいました。僕の父は公務員で、朝早く出かけて夜帰ってきて日曜日はほぼ寝てました。だから、親父と楽しい時間を過ごした記憶がないんです。子育ては奥さん任せで、その苦労を何も知らないからお母さんは子供たちを囲っていく。そういう家族の形って幸せかね?っていうのを『サバイバルファミリー』のなかでは描いています。
 
なるほど。

― さらに現代にすすむと、子供たちがスマホを持ったおかげで子が親にものを訊ねるという小さな会話すらくなって、親子間も断絶していくというか、同じ家に住んでいるのにいるだけみたになってきている。2002年くらいに考え始めた映画ですけれど、わかりやすい家族を主人公にできたので現代で作って逆によかったなと思っています。 僕自身がスマホを使っていない人間なんで、身勝手な感想で言うと「ないほうがよくない?たくさん便利なこともあるけど面倒もたくさんある」と思えちゃうんです。つい130年くらい前、明治時代までは電気がなくても誰も死にそうだとは思っていなかったわけだし。

スマホを持たないのは、どうしてですか?

― 新しい機械を覚えるのが苦手な人種なんですよ。新しいソフトを覚えるとか、面倒臭い。元々嫌いだし、苦手だからできないっていうのが、本心。かっこいい建前で言うと、あえてそこに踏み込まないようにしているんです。一度その世界に入っちゃうと抜け出すのが大変だから。

それでもいつかは踏み込まざるをえない日がやってくると思いませんか?

― 思いません。まったく。

言い切りましたね(笑)

― かみさんがやっているそばで見ていても、全く興味がないんです。監督というポジションでいる以上は、多分必要ないと思います。周りから情報が集中してくるし。私生活では友達は非常に少なく、仕事も何年かに1本くらいなんで、携帯はありますけどもほとんど鳴らないです。

映画と映画の間は何をしていますか?

― 寝っころがってます。僕みたいにのんきで広く付き合いをしない、時間の使い方がだらりとしている人間には携帯もいらないくらい。

そのスタイルは、今の監督業に合っていますか?

― とっても合っています。それに、オリジナルのアイデアで脚本を書いているということもラッキーなんです。面白いと思った題材を取材して深く調べる、というやり方をしているので、ネットの膨大な情報に触れないほうがうまくいくことが多いんです。直接会って取材したほうが正確だし面白い。

ところで、先日のアカデミー賞授賞式(2月26日)はご覧になりましたか?

― 作品賞、「ラ・ラ・ランド」というところまで見て成田を出て、その後の顛末(実際は「ムーンライト」)を電話で知らされました。

アメリカではさっそくこのゴタゴタをいじって遊んでいましたが。

― そういうところが、アメリカのエンターテイメント界の懐の深さでしょうね。なんでも「楽しくいじれたらエンターテイメントじゃないか」って言うふうに持って行ってくれたほうがよっぽど失敗しても楽。日本は失敗するといじめるほうにいっちゃいますから。

なぜ映画監督に?

― 僕はもともと映画監督になりたかったというわけでも、日本映画の誰かが好きというわけでなく、元々映画が好きな単なるお客さんだったんですよ。学生時代から自主映画をずっとやっていて、今もその延長でしかないんです。気が付いたら誰かがお金を出してくれて、大きな劇場で公開して、お客さんがお金を払ってくれるようになった。スケールがあがってきただけ。作っている身としては変わった気がしないんです。

どんな映画がお好きだったんですか?

― 親に連れて行かれたのはアメリカ映画、それもパニック映画が多かったです。『ジョーズ』とか『タワーリング・インフェルノ』とか。日常の延長上にとんでもないことが待ってます、みたいな設定が好きでした。日本映画と大きく違うのは、カラッとしていて展開が早い、娯楽性が強いこと。そんなものに影響されたせいか、日本独特のじっとりした、スローなテンポのものよりもスピーディーな展開のもののほうが観るのも作るのも好きです。

当時の子供心には、『ジョーズ』は相当ショッキングだったんじゃないですか?

― あれを見た後はしばらく、二度と海に行くもんかと思いました(笑)。

次の映画の構想はありますか?

― ありますけど秘密です。実現しない場合に恥ずかしくて困るから(笑)。■
                      





3月1日、シカゴでの初上映後の様子
(Photo/Asian Pop-Up Cinema/Anna Munzesheimer)






「東北の大震災で甚大な被害を受けた地域以外の人たちは、どこか他人事なんです。日本の国内に住んでいる誰しもが、あるいは日本以外の世界の人たちがもしかしたらこれは自分のことじゃないか、自分だったらどうやって家族を守ろうとするかを感じてもらえる映画を作りたかったんです」
  (3月1日 シカゴ「AMC River East21」にて。photo/ Asian Pop-Up Cinema/Anna Munzesheimer)


 矢口監督を二文字で表すとすれば、「愚直」。これは、監督自身がこの二日間で何度も口にした言葉でした。今の社会でスマホを持たず、インターネットでの広く浅い検索よりも自分の五感、六感を信じきれる自信があればこそ、愚直を通せるのかもしれないな、と大いに納得。必要に迫られて昨年ついにスマホデビューしてしまった私は、便利なものを手に入れた替わりに悪魔に魂を売ったような罪悪感の真っただ中。監督と同じ世代を生きた人間として、少し耳が痛くもありました。
 
 シカゴでのスクリーニングでは、予想どおり劇場は爆笑の渦。エンドロールと同時に大きな拍手喝采。そのあとの質問コーナーでは次々と観客から手が挙がり、興味深い質問が飛び交いました。
「せっかく”サバイバル”したのになぜ家族は東京に戻ったのか?」という質問に、「田舎暮らしが正しい、と言うつもりもありませんし、どちらを選択するもみなさんの自由です。便利なものが戻ったら、また元通りの生活に戻ってしまう。人間って愚かなものなんです」と監督。「西に向かえば安全」という世間の風評に惑わされ人々が一斉に西に向かうシーンでは、原発事故直後の人々の混乱が蘇りましたが、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのも私たち人間の愚かさ。
 2017年、アメリカでは政権が替わり、社会的弱者にとってあらゆる意味で“サバイバル元年”。「最後はポジティブな者が救われる」という監督の言葉が、実は一番胸に響いた私でした。

         
     (インタビューは2018年2月28日 シカゴ市内にて)


■矢口史靖(やぐち しのぶ)氏 プロフィール■
1967年5月30日生まれ。
大学で自主映画を撮り始め『裸足のピクニック』(93)で劇場監督デビュー。オリジナル脚本をもとに絵コンテを描いて撮影するという独自のスタイルで、常にユニークな題材に挑み、ユーモアと感動にあふれる作品を生み出す日本を代表する映画監督。青春映画の金字塔となった『ウォーターボーイズ』(01)、『スウィングガールズ』(04)をはじめ、成長する若者の姿を描いてきた矢口監督が本作では困難に他に向かう「家族」を壮大なスケールで描き、新たなる矢口ワールドを切り開いた。その他の主な作品に、『ひみつの花園』(97)、『ハッピーフライト』(08)、『ロボジー』(12)、『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常』(14)などがある。



● 『サバイバルファミリー』オフィシャルサイト
   http://www.survivalfamily.jp/index.html


■関連記事
「People's Festival (観客のための映画祭)、「アジアン・ポップアップ・シネマ」
3月1日から5月3日まで開催中!」

        



      
               バックナンバー


ホーム | 初めての方へ | お問い合わせ | 投稿者&ライター募集中! | 規約と免責事項 | 会社概要

Copyright (c) 2005 US Shimbun Corporation. All Rights Reserved.