Kuni のウィンディ・シティからの手紙


著者略歴 馬場邦子

アメリカの通信社東京支局、及びシカゴ支局で金融をカバー。
サンノゼ・マー キュリー・ニュースの 東京支局長アシスタントを経て、フリーに。
主にジャパン・タイムズにアート・ レビューを執筆。
2002年2月より、シカゴ郊外アーリントンハイツに住む。

ブログ


バックナンバー
        パリ在住の画家、早川俊二氏、3年間の沈黙を破る
         〜新作個展「アスクエア神田 ギャラリー」(東京)にて開催中〜



 早春の強風が吹いた3月、待ち望む春の季節を感じさせるようなみずみずしい空 気が、真っ白い壁に囲まれた東京、神田の画廊に流れていた。

 冬の寒さの残る神田小川町交差点近くのビジネス街。突風を背に、パリ在住画 家、早川俊二氏が3年ぶりに発表する新作の個展会場に、急ぎ足で向かう。何の変哲もない古びたビルの小さな入り口に、「早川俊二展 アスクエア神田 ギャラリー」と小さく掲げられた表示。ややもすると、通り過ぎてしまいそうに なる。周りは雑多な喧騒の世界で、人々はせわしなく動いている。
 まるで、そん な世の中から身を隠すかのように、こじんまりした地味な画廊がある。しかし、 その画廊の扉を押すと、そこには静謐な異空間が広がっていた。この画廊に来る のは、7年ぶりだろうか。だが、あたかも時間がそこだけ止まっていたかのよう に、温かい普遍的な時間が流れている。それは、今も昔も変わらない。

 そこには、一旦見たら磁石のように引き込まれ、離れがたくなるほどの吸引力を 持つ魅惑の絵画群が広がっている。ときには、ぼんやりとした視界の中、私たち はその絵画たちとひそやかに会話する。静かに、静かに自分自身の内なる声に心 を傾けながら、絵の発する穏やかなエネルギーと呼応し合う。何にも邪魔され ず、その絵の中にすっと入っていく自分を知り、かすかな誇りと優越感に浸る。 突然、天から降ってきたかのように、「ああ、絵と一体化している」という不思 議な感覚に襲われる瞬間。そして、言いようのない充足感が、心の隅々にじわじ わと広がる。その心地よい高揚感に体中が包まれたとき、生きていると実感す る。これが、私の感覚がとらえている早川俊二という画家が生み出す芸術の世界 だ。このように、ある種自分の精神を解放してくれる絵には、なかなかお目にか かれないものだ。

 今回の個展の前期パート1(4月8日まで)は大作6点を発表。2007年から 今年にかけて、早川氏が全精力を傾けて、世に出た珠玉の作品の数々。(静物画 の小品も同じ時期に21点ほど描かれ、4月14日から始まる後期パート2で発 表)すべて柔らかな女性の人物画で、その小さなギャラリー空間は占められてい る。入り口から入るとすぐ正面に、寝ている女性の絵が2つ並んでいる。左手の 「まどろむAmely-1」(2008)の中の女性のまどろみが静かに伝わってく る。女性のいる空間が浮揚しているようにも見える。はっと息を飲むような淡い 色彩が、私たちの姿まで包み込んでしまいそうだ。そんなたおやかな魅力に満ち た作品。水色を基調とした白と茶が入り混じった繊細な背景で、視覚がゆらゆら 揺れながら、はるかかなたの別次元に見ている者をいざなう。この絵があれば、 ずっとそこにたたずんでいられる。右手の「まどろむAmely−2」(2008) のアメリーの手前半分の表情は、左側の作品のアメリーよりややはっきりしてい るが、体全体はかすんでいる。その代わり、荒いタッチの線が表面に斜めに入っ ている。穏やかさの中に、ほどよい緊張感が漂う。

 ギャラリーの左手奥に進むと、この個展のために早川氏が最初に製作を始めた作 品、「風景へ−1(Josette)-2007」(2007−09)が、茶色の基調の 大画面で、いきなり私たちを圧倒する。今まで抱いていた早川氏のみずみずしい イメージの人物画とは、対照的だ。女性の茶色の服は、タイルを並べたような荒 々しいタッチがそのまま残されている。この作品は、早川氏は背景を仕上げるの に迷いながら、一旦筆を置き、後に述べる2作を仕上げてから、再び背景を仕上 げたという。その作品の横にある「風景へ−2(Josette)−2007」 (2007−09)の女性の表情が、今回の大作展6点の中で一番はっきりして いるかもしれない。背景の緑と水色、そして女性のピンクがかった茶色の色合が 絶妙に配置され、見る者に安堵感を与える。素直に美しいと感じられ、女性の周 りから発する不思議な光のせいか、ある種宗教画にも通じる崇高さをたたえてい る。2つの作品とも人物しか描かれていないが、壮大な宇宙空間に浮遊し、すべ ての物が連続してつながっているような感覚を覚え、「風景へ」というタイトル に納得する。

 そして、本来の早川氏のイメージに立ち返った明るい水色の色彩で彩られた「女 性の像−1(Clemence)−2007」。女性の体の左半分の描写は、背 景の色と交じり合いながら、次第に溶けて透明感を増していく。そのせいか、頬 や髪の毛、そして腕の線が揺らめきながら、じょじょに絵画から抜け出してくる かのようだ。幻想の中に身を浸し、埋没する。これは絵なのだろうか。女性の周 りの空気までも描いているため、そのような錯覚が起こるのか。私たちの感性が この絵と一体となったとき、精神が心底洗われたような気分に陥り、頭の中でそ の感覚はぐるぐる回って、いっときこびりついて離れない。初めて早川氏の個展 を見に行った友人の1人は、その夜、何年かぶりに眠れなかったほどの興奮と高 揚感に包まれたという。これだから、早川絵画はやみつきになる。最後に紹介す る6点目の「女性の像−2(Clemence)−2008」は、「女性の像− 1」よりも色は落ち着いていて、女性が気品に満ちている。

 このように、早川絵画の特徴は、さほど多くの種類の色彩を使わず、早川氏が長 い間練り上げ、創り出した独自の油絵の具で、幾重にも塗り込められた分厚いマ チュエールによって、人物や静物の存在感を映し出す。コットンの生地を3枚 貼って、地塗りを徹底的にほどこし、厚くなった独特のキャンバスの周りは、削 られたように、わざとそのままの状態をむき出しにしている。早川氏によると、 その部分も絵の一部だというから、その無骨さが、繊細な色彩や空間表現と対照 的で面白い。そして、意外なのは、ほとんどの作品を筆でなく、ペインティング ナイフで描いていることだ。「筆で塗っただけでは薄すぎてつまらない。絵の具 の現実感が伝わってこないので、ナイフを使うようになった。レンブラントも (ペインティングナイフを)巧みに使っている。」と語る。卓越したデッサン力 と色彩感覚、そして、巧みな空間表現。早川氏の稀にみる芸術に対する純粋で真 摯な追求力がなせる技なのか。「内なる光」を持つ作品と美術史家、佐藤よりこ 氏は批評した。評論家たちが絶賛する早川絵画の世界とは、いったいどのように してできたのであろうか。

 1950年長野生まれの早川氏は、今年59歳。渡仏したのは、1974年で 24歳のときだ。以来35年間、あらゆる商業主義的なものから距離を置いて、 西洋美術の巨匠に囲まれたパリで、黙々と自分自身の芸術に精進し続けている。 若き早川氏は、1973年東京の創形美術学校を卒業して、結子氏と結婚して、 すぐパリに渡り、パリ国立美術学校で、彫刻の教授であるマルセル・ジリ氏の下 で、1976年から1981年の間、基本にもどり、デッサンの勉強をした。西 欧美術の巨匠作品と対峙しながら、黙々とデッサンに励んだ早川氏。これが、早 川絵画の核となる。早川氏にとって、「絵を描くというのは、技術が90%、表 現力はほんのわずか。

 しかし、20世紀絵画は、表現が拡大しすぎていて、なん とつまらない主張をしているか・・・とくにアメリカ美術は、虚構の世界だっ た。金額を上げて、華々しくやっているが、内容は貧弱。未来を見据えて、自分 とは何かを問うというより、瞬間を楽しむっていう感じだっだ。」そんな20世 紀絵画に疑問を持ったとき、ヨーロッパの古典絵画に触発されながら、白黒の デッサンの基本的な世界に色が見えてきたという。「白から黒へのグレーのニュ アンスがすごく、やればやるほど、すごい宇宙がでてくる。それがデッサンの世 界・・・それが、墨絵だし、ミケランジェロの晩年のデッサンだ。」と絵画に とってのデッサンの重要さを語る。

 1983年、パリにてデッサンと油絵の初個展を2回行う。大成功を収め、10 以上の画廊から誘いがあったが、商業的なものを感じ、あえて断わる。「このと き有頂天になっていたら、現在の僕はなかった。商売の世界は創造の世界からど んどん遠ざかっていくという恐怖感があって、断った。」とそのときのことを振 り返る。1984年、グループ展として、 FIACに出展するが、絵の具の研究の 必要性から出展活動を止める。その後、30代からは、20年以上もの長い月日 を絵の具の製作研究に費やす。気の遠くなるような時間だ。

 1987年、37歳ごろ、当時松坂屋の画廊で働いていた、伊藤厚美氏にパリで 出会う。早川氏のデッサンを見て、強い衝撃を受ける。1987年といえば、バ ブルの創成期。伊藤氏が見た当時の早川氏のパリのアトリエというのは、古い建 物の中にある「ほったて小屋」のような感じだったという。「商業主義の真っ只 中にいた世界から(私が)きて、見た彼の存在にものすごいギャップがあっ た・・・日々(デパートの画廊で)接している絵とは違う。芸術に対する思いが 違う。これはデパートで扱うのはやめたほうがいい。」と直感し、早川氏が納得 する作品ができ、日本での初個展を開くまで、5年間も辛抱強く待っていた。 「早川俊二との出会いは、その後の私の人生を大きく変えた。」と伊藤氏は、 ギャラリーのホームページに告白している。

 1992年、42歳のときに、「アスクエア人形町ギャラリー」(後にアスクエ ア神田ギャラリーとして移転)で初個展。このとき、私はジャパン・タイムズの アート・レビューの取材で、初めて早川氏に出会う。当時、まだ日本では無名 で、純粋に自分の芸術を磨いている若き修行僧のような印象だった。その時の ジャパン・タイムズの私の記事を振り返ると、「In search of the universality of beauty 」(「美の普遍性を求めて」)という見出しで (1992年12月6日付)、「右向きのアトランティック」というテンペラと アクリル絵の具の混合技法を用いた、さほど大きくない一枚の少女の絵を紹介し ている。「私は、美の普遍性を求めたい。それは、我々が実在としてつかむこと ができない神のようなものだ。」と語る早川氏の言葉で記事は始まっている。早 川氏の幾度も塗り込められたであろう分厚い絵肌の中で、「アトランティック」 という少女の存在感は、白黒の新聞の紙面で、あたかも彫刻のように浮き出てい た。その吸引力はそれまで味わったことのないほど強いもので、だからこそ、ど うしても記事にしたかったのだ。そのときの早川氏の黒目がちの大きな目が、彼 の芸術に対する純粋さを映しだしていた。

 その後、1997年に「アスクエア神田ギャラリー」の個展で発表した「アフリ カの壷」という作品が、読売新聞の日曜版の第一面の芥川喜好氏による「絵は風 景」という人気コーナーで、1ページにわたってカラーで大きく取り上げられ、 日経新聞や朝日新聞などでも個展がたびたび紹介されるようになり、一般のアー ト愛好家にも早川氏の存在が知られるようになる。芥川氏は、そのときの記事 で、「自然で柔らか 空間の不思議」と題して、その絵をこう表現している。 「さわさわと、空気の粒子が手に触れんばかりに粒立って視界を侵している。

 そのなかに影のように壷はあらわれる。むしろ、空気の粒子がそこだけ壷のかたち に凝集して周囲と連続しているという感覚だ。つまり壷と空間はほとんど同質の ものに見える。粒立つ空気の摩擦によるものか、画面は内側からほのかな熱と光 を発して適度な温かみをたたえている。そのまま包みこまれてしまいそうな、快 適な深みをもつ空間が生まれている。こんな絵に接するのは初めてという気がす る。」(1997年12月7日付読売新聞日曜版より)「さほど広くはないが清 潔な印象の画廊の壁面で、絵は周囲の空気とひそかに通じあいながら静かに燃焼 していた。様式を主張するのでも、描かれるものを強調するのでもない、もっと 自然で柔らかな吸引力にみちた画面だ。」と芥川氏は続く。

 2006年の最後の個展から今回の個展まで3年もの月日が必要だったのは、そ の絵の具の改良にまたしても時間がかかったからだという。早川氏は、大きな壁 にぶつかりながら、この20年間の絵の具の技術研究を1年間かけて、もう1回 やり直してみた。「そうしたら、20年間かかえていた問題が半分解決でき、今 までで一番躍進した。(絵を)見た人は、より自由になって、(今までより)絵 の中にすっと入れる感じ。エネルギーを発散してくるような感じに見えるのでは ないか。」と期待している。その結果、「今までより、透明感が増している。」 と伊藤氏は強調する。

 早川氏の絵描きとしての原点は、中3のときに出会った、セザンヌの画集。以 来、この道をめざしてまっしぐらだったという。「セザンヌは、絵の中に人を引 き込んでくれる。あなたはこう見ろと人に押し付けない。森に行って草木に触れ たり、それらが目にはいってくると、気持良くなる。あれと同じ感覚で絵を見れ る。自分の絵のあるべき姿も同じだと思う。」と強調する。好きな作家や作品 は、セザンヌ以外に、ジャコベッティ、レンブラントの晩年の作品、フェルメー ル、ミケランジェロの晩年のデッサンや彫刻、ピエロ・デラ・フランチェスカ、 ファン・エイク、中国の南宋画、日本人では、長谷川等伯の「松林図屏風」、雪 舟など。ポンペイの壁画やラスコーやアルタミラの洞窟壁画も好きで、見に行き たいという。普段は、いつもベートーベン、バッハ、ブラームスなどのクラシッ クの巨匠の音楽を聞きながら、絵を描く。

 独特の空間表現について、「物の存在を認知するのが光。光の粒子をとらえるこ とによって、光の位置を絵の中に定着していくと空間ができてくる。(たとえ ば)、茶碗が占めている空間を自分の中でとらえられれば、自分の存在している 宇宙がとらえられるのではないか。セザンヌに出会ったとき、そのことを感じた んだと思う。」と早川氏は語る。「今後、どんな絵画をめざしていくのか。」と いう質問に、早川氏は、「言葉で自分のめざす絵画を語るのはむずかしい。」と 前置きしながら、「自己主張でない、自立した絵画を創っていきたい」と語る。 早川氏の話の中で幾たびもでてくるセザンヌが残したような絵画のことだ。具体 的に早川氏がめざす自立した絵画とは、何か。「植物の種をまいて、芽がでて、 地上にでて、花がさき、しぼむ・・・そんな自然のいとなみの世界や私たち人間 の一生のような絵画をめざしていきたい。」と語る。「神の創造を模倣するよう な、それに近い感じ」と語る。早川氏が描いた「人物や茶碗をかりて、一つの絵 画でそういう世界ができればいい。」という。そして、冒頭で早川絵画に対して 感じた私の印象の紹介と同じように、「(見る側が)絵に入ってくれて、自分の 心と絵で対話してくれればいい。」早川氏のめざしている絵画とは、そういう意 味で、すでに多くの私たちファンの心に届いている。だが、「その衝撃や感動を をもっともっと大きなものにしていきたい。」という。根底には、早川氏の絵を 通して、「生きていることが貴重で素晴らしい。」というメッセージを伝えたい のだが、「それは見る側の感性でさまざまに感じてほしい。」という。

 そんな早川氏の普段の生活を聞くと、朝型人間で質素な生活を心がけている。毎日、明け方の3時から4時ごろから7時ぐらいまでが一番集中して作品にとりく むことができるという。ときには2時ぐらいから始めるという。絵描きとしての 早川氏を生活面や精神面で長年ささえ続けてきた妻、結子氏と2人で菜食主義を 貫き、無駄なものをすべてそぎ落として、芸術家としてまい進する日々。最初に 早川俊二の才能を見出した結子氏という存在がなければ、この稀有な早川絵画の 世界は開花されなかっただろう。

 早川氏は、「今こそ基本にもどって、天然資源 や自然を大事にする日本文化や日本人の感性をもっと自信を持って世界に訴えて いくべきだ。」と言う。この100年に一度の経済危機と言われる現代の日本 で、日本人が忘れてしまっていた大事なものがすべて見直されている中、早川氏 の絵画、そして生き方は、私たちの心をとらえて離さないであろう。そして、い つの日にか、巨匠と呼ばれる日がくるのを予感させるような画家、それが早川俊 二と強調して、この記事を締めくくりたい。


早川俊二展  PART I  大作展 3月24日(火)〜4月8日(水)
         PART II  小品展 4月14日(火)〜5月2日(土)


会場: アスクエア神田ギャラリー

〒101−0054 東京都千代田区神田錦町1−8 伊藤ビル4F (本郷通り)

TEL: 03−3219−7373 FAX: 03−3219−7375

E-mail: kanda-gallery@asquare.jp

URL: http://asquare.jp



早川俊二作品 / アスクエア神田ギャラリー提供


「まどろむ Amely-1」 2008

「まどろむ Amely-2」 2008

「風景へ-1 (Josette)-2007」 2007−09

「風景へ-2 (Josette)-2007」2007−08

「女性の像-1 (Clemence)-2007」2007−08

「女性の像-2 (Clemence)-2008」 2008

「アフリカの壷、貝、碗」 2008 
パート2の小品展の作品


      
                             バックナンバー


ホーム | 初めての方へ | お問い合わせ | 投稿者&ライター募集中! | 規約と免責事項 | 会社概要

Copyright (c) 2005 US Shimbun Corporation. All Rights Reserved.