Kuni のウィンディ・シティへの手紙



著者略歴 馬場邦子

アメリカの通信社東京支局、及びシカゴ支局で金融をカバー。サンノゼ・マー キュリー・ニュースの 東京支局長アシスタントを経て、フリーに。主にジャパン・タイムズにアート・ レビューを執筆。
2002年より、シカゴ郊外アーリントンハイツに住み、2008年日本に帰国。
公立小学校英会話講師。


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パリ在住41年の稀有な画家早川俊二の世界〜「早川俊二 遥かな風景の旅」長野展開催!
〜チェリスト藤原真理コラボコンサートを経て
読売新聞編集委員芥川喜好氏講演会にて


 「稀有な人である…あるいは驚異の人だ。比類のない人である…空前絶後である」と読売新聞編集委員の芥川喜好氏は、画家早川俊二氏をこう繰り返し表現する。
6月開催の長野の北野カルチュラルセンターの「早川俊二 遥かな風景の旅」展での6月13日の講演会で、芥川氏は、41年もの長い間パリで絵かきとして黙々と我道を精進する早川氏の姿を「他に比類なき稀有な人」ととらえたのだ。 

                 
 芥川氏は、日本近代美術史をひもとき、自身の著書『「名画再読」美術館』の中の作品を見せながら、欧州で何年か修行し、500年もの歴史ある西洋油彩絵画に圧倒され、日本へ帰った浅井忠、小出楢重、岡鹿之助といった名だたる画家たちの絶望や性急さを取り上げた。
 それに比べて「早川氏は日本の近代の油絵の歴史において、日本の近代の人たちがみんな失敗してきたことを真正面からやっている際立った存在である」と重要な見解を示した。

 

 芥川氏は読売新聞の美術記者として35年のキャリアを持ち、1992年に日本記者クラブ賞を受賞し、現在は読売新聞の人気コラム「時の余白に」を執筆中。
 「ああ、やはり、早川氏の描き出す独特の比類なき絵画群が生まれた原点はそこにあったのか?!」と芥川氏の言葉に深い感動を覚えずにはおれなかった。
今回の長野での早川俊二展は、さまざまなメディアで報道され、評判となり、今や早川俊二という画家は長野の時の人。この展覧会は、長野で生まれ育った早川氏の同級生と恩師が中心となって、約3年前に実行委員会を立ち上げ、全国のファンを中心とした人々に呼びかけ、500人もの市民の協賛金や作品のカレンダーやハガキなどの収益金で開催された。私も親しい友人に呼びかけ、カレンダーや資料を配り、まず早川絵画の魅力を理解してもらい、ファンになってから、関東から10人ぐらいの人々に長野に足を運んでもらった。

 実行委員会事務局長の宮澤栄一氏によると、協賛金は1口1000円にしたので、北海道や奈良、広島など全国各地のファンから応援が入り、いまだに1万円を振り込んでくれる人もいるという。誠実で実直な早川氏は、応援してくれた人々の一人一人にお礼の手紙を送ったという。
 宮澤氏によると、農業で早川氏を育てた母、徳女さんが黙々と絵を描き続けていた早川少年を見て、節約して絵の具を買い与え続けたという話に感動し、「お母さんが元気なうちにぜひ俊二君の絵を見てほしい」と思ったのがきっかけと回想する。
 そして、同級生3人で実行委員会を立ち上げ、徐々に輪を広げていったのだが、ここまで大規模になるとは思わなかったという。利益を顧みない市民による市民のための手作りのこれまた稀有な展覧会であるといえる。
 
 
展覧会の受付をする実行委員会メンバーたち 

 早川氏は、今まで数年おきに限られたスペースのアスクエア神田ギャラリーで作品を発表してきて、そのたびにファンが広がり、異国の地パリでコツコツ実績を積み上げてきた。
 決して既存の美術団体には所属せず、日本での商業主義的なものから離れ、パリに住み続けて41年という独立独歩の道を選ぶ。 1974年24歳で渡欧し、本場のミケランジェロやレンブラントなどの西洋絵画の名作に衝撃を受け、来る日も来る日も黙々とデッサンに励み、20代はデッサンを確立するのに費やす。
 自分なりの絵具の色を探し求めて、その色を探求し続けた30代。
40代でやっと油彩画に自分の世界を確立し出し、1992年42歳の時日本で初の個展を開く。

 早川氏を見い出し、1992年から画廊で個展を開き続けたアスクエア神田ギャラリーの伊藤厚美氏が、1987年パリのアトリエで初めて早川氏のデッサンに出会ったときの衝撃を2004年の作品集の中でこう表現している。
 左手窓からのぼんやりとした光の中、画架の上のいくつかの描きかけと思われる絵が浮かび上がった。彼に促されるように振り返った時、私は震撼とした。その大デッサンが発する空気の中にある波動はいまでもリアルに私のなかで生き続けている。(「未来との出会い」伊藤厚美 『早川俊二作品集 1982-2004』より アスクエア神田ギャラリー発行 )

 
「右側が伊藤厚美氏、左側が1992年の個展で「月刊美術」に記事を書いた群馬県立近代美術館長井出洋一郎氏」

 早川氏は集団に属せず、賞を取って名誉を得るという既存のシステムに頼らない自由な環境で、徐々に徐々に自分の道を歩みながら、とほうもない時間を美の普遍性の創造に費やしてきた。私たちには想像もつかない41年間の日々の努力の成果がこの回顧展には結実しているといえよう。
 3年間にわたる多くの人々の善意によって支えられた甲斐もあってか、初めて早川絵画を観る人には驚きと衝撃を与え、全国から訪れた熱狂的なファンは、カルチュラルセンターの1階から3階までの新作20点を含む63点もの作品が一気に並べられた異空間に立ち起こる興奮の渦にまず立ち往生する。

  

 塗っては削り、塗っては削りという作業をペインティングナイフで交互に繰り返し、何層かの厚みをつけ、ブラインダーにかけ平らにしていくという13から17もの工程を経てできる下地作りは、一つの作品で10日間にも及ぶという。そうやって苦労して生み出されたグレーあるいは水色と茶を基調とした独特の分厚いマチエールの中で、対象がうごめきながら静かに私たちに語りかけてくるのだ。

 
作品名「砂糖壺とホーローの柄杓」1997 

 画面から抜け出してくるかのような対象から発せられる不思議な力強い磁力によって、私たちの身体と心が美術館の空間と一体化し、目に見えない風となり、それが小さな竜巻のごとく体中を駆け巡っているような感覚。 しばらく足が宙に浮き、体がフワフワしているような高揚感。これは早川俊二個展でいつも体感することだが、今回はそれが数倍の威力で私たちを圧倒する。

 斬新で個性的な作品は「観ろ、観ろ!」と私たちに迫り、主張を押しつけてきて疲れてしまう。鑑賞者からよく発せられる早川絵画に対する共通の感想の一つは、私たちに「媚びない絵」。写真で早川絵画ファンになり、今回初めて作品を観たさいたま在住の女性はこう感想を語る。
 「とても奥深い、観る人がいかようにも自分の感覚で捉えて観ることが出来る作品だと思いました。本物は迫力が違いますね」

 
作品名「着衣するVera・U」1998

 「媚びない、自分の道を貫いているような…静かだけど、とても強さを感じる」と小田原から友人とご主人と共にきた音楽家の山田浩子氏は語る。
 山田夫妻は小田原医師合唱団を率いていて、医師である山田洋介氏によると、早川作品のカレンダーを飾って、インスピレーションを得ながら、合唱団のみんなで練習に励むという。

 一般の人々がそう感じることを補足するかのように、芥川氏は早川絵画は自分のスタイルを主張しているような、人との差異を強調するような絵ではなく、哲学的な思索を誘うものがあると説明した。

 「2000年に入ってからの絵は、何か外側からこう描きましたという絵ではない。こうやって空気の粒子が空間を満たしている。そこに何かボーッと内側から物が現れている」
 「空気が漂っている。ぐっと凝縮して物の形が内側から現れてくるときの灼熱感というか、温度の感覚、光の感覚で、それがこうまさに立ち上がろう立ち上がろうと…」と芥川氏が1997年読売新聞で初めて取り上げた「アフリカの壺」に関する記事を引用しながら、より詳しい言葉巧みな解説をした。

 
作品名「アフリカの壺」1997 

 2009年のアスクエア神田ギャラリーでの個展での揺らめく魅惑の女性像の作品群は、メディアでも評価され、反響が大きく、私もUS新聞に長いレビューを書いた。
http://www.usshimbun.com/column/Baba2/Baba2-3.html)
そのときの代表作がこの展覧会でも数点でている。

左側作品名「まどろむAmery-2」2008  右側作品名「まどろむAmery-1」2008

 「このような絵は初めて観る」「引き込まれるような静かな世界」とは多くの鑑賞者の共通の感想だが、私たちの感性を究極まで引き上げ、研ぎ澄ませてくれるのが早川絵画の最大の魅力なのではないだろうか。
 2014年に実行委員会が発行した「早川俊二の絵を語る」という冊子には、新聞や雑誌の記事に加えて、早川ファンの奥深い洞察力のこもった文章や真摯な手紙、文学的な美しい詩が掲載されている。

 早川氏の目指す絵画世界とはどういうものなのだろうか。
 「宇宙全体を考えたとき、絵かきができることとは、対象を写すということではなく、その奥にあるものを追求していくと、結局は何か神が創った世界を模倣しているっていうことかなと思った」と早川氏は今回のUS新聞のインタビュー中、突然こんなことを語り出した。
 「神のようなものを描きたい」と1992年の日本で初の個展でのジャパンタイムズのインタビューでも言っていたのを思い出す。再び神という言葉が出てきたのは、展覧会出だしの6月6日のチェリスト藤原真理コラボコンサートの感想を聞いたときである。

 そのコンサートの模様をレポートしてから、早川氏の話を進めよう。
 藤原真理氏は日本を代表する世界的なチェリスト。チェロの女王とも呼ばれ、フランスのバイオリニスト、ジャン=ジャック・カントロフ、メンデルスゾーンの子孫であるルーマニアのビオラ奏者、ウラディーミル・メンデルスゾーンという2人の巨匠と「モーツァルト・トリオ」を組むほどの実力の持ち主。 2013年NHKの大河ドラマ「八重の桜」のエンディング・テーマを坂本龍一と共演。クラシックはもとより、宮沢賢治へのオマージュと幅広いジャンルで活躍している。そして、その藤原真理の演奏が早川絵画に囲まれた静謐空間に流れるという夢のような贅沢極まりないビッグイベントがついに実現した。

 コンサート会場は北野カルチュラルセンターの1階で、早川絵画ファンと共に藤原真理ファンも全国から駆けつけたようで、このジャンルの違う芸術のぶつかり合いがどういう化学反応を起こすか興味津々といった面持ち。2階は吹き抜けになっていて、2階にいる人々もコンサートの音が楽しめるような構造になっている。
 
 コンサートは、ベートーベンの『モーツァルトの歌劇「魔笛」の主題による7つの変奏曲』から始まった。
ピアノ演奏はいつものコンサートと同じく倉戸テル氏。コンサートホールのように演奏者が段上ではなく、小さなスペースで観客と同じ床で演奏するので、その透き通ったチェロの波動が直接私たちの体に響く。

 世界の藤原真理が手の届く場所にいるという高揚感もあり、いつものコンサートより迫力を感じる。私の角度から藤原氏の背景に見えているのは、早川氏の初期の暗い重々しい絵肌の女性像。その女性像のイメージの残像が、同じポーズの2009年の洗練された透明感のある女性像と重なり合って、穏やかなチェロの音色と呼応し合う。藤原氏を囲んだ早川絵画の女性像が呼吸し、空間に漂い、その無数の色彩の渦が舞っていくかのようだ。



 そして、早川絵画とのコラボの頂点はやはり「バッハ無伴奏チェロ組曲」。一台のチェロという楽器が奏でる無限の広がりを感じされるような音の宇宙が生み出されるため、この曲は「チェリストたちの金字塔」と言われる。
 1978年第6回チャイコフスキー国際コンクールで2位入賞した藤原氏は、この「バッハ無伴奏チェロ組曲」の録音で文化庁芸術祭作品賞を受賞。藤原氏にとっても特別な曲らしく、毎年自分の誕生日にはこの曲を演奏する。

 そして、元々この曲を敬愛し、長年さまざまなチェリストの演奏を聴き続けてきた早川氏。藤原氏のコラボコンサート開催が決まって以来、藤原氏の「バッハ無伴奏チェロ組曲」を聴きながら、ある種のインスピレーションを得て、創作に没頭したという。

 3月のメールで早川氏は、「伝わってくる音色の小さな波動と大きな波動が聞こえてくるようだ。自分の絵がそれと同じように、光の波動が二重に発散するような絵を描きたいと思っている」と記している。
 このときの感覚はうまく言葉では言い表せないが、絵画と音楽の融合による無限の宇宙への広がりは増幅され、崇高な光が発せられたかのような瞬間が各観客には訪れたのではないだろうか。藤原氏も静謐な絵画空間に囲まれ、気持ちよく演奏できたようだ。

 
左から早川夫妻と藤原真理氏、倉戸テル氏


 演奏後、藤原真理という世界的に著名な音楽家と早川俊二という稀有な画家とのミニ対談がUS新聞のインタビューという形で実現したので、以下2人の会話をそのまま再現する。

 まず、藤原氏に展覧会場での演奏の感想を聞いてみる。
 「その昔、東独に行ったとき、美術館でオーケストラと一緒の演奏会があったんです。(周りに) 写真のような王侯貴族やその地の代々の侯爵とかの肖像画があったから…視線を感じる。目が合っちゃったりして…」と藤原氏は演奏しづらかった経験を笑顔で話す。
「(早川氏は)直接的に視線を出してっていう描き方なさってないから….」と藤原氏。
「(視線を)はずしてありますからね」と早川氏。
「包まれる感じでなんとなく温かかったんです」と心に沁み入るような藤原氏の一言。



 「チェロの音色と絵の具のタッチが呼応しているように感じ、女性たちが呼吸し、動き出すような不思議な感覚に陥った」と私が演奏の感想を述べると、早川氏がこう熱弁する。
 「鋭いね…僕はね、今までCDで聴いてきて、今日初めて生の音を聴いた。全然違う。生の音色がね、やっぱり想像した通り二重に聴こえるんだ。最初のバイブレーションと次のバイブレーション、それがとてつもなく美しく、僕はそれを絵で描きたいと思っているんだ。(バッハ無伴奏)チェロ組曲はそれを一番感ずる曲でもある」
 藤原氏はここですかさず技術的なことを告白してくれた。
 「バレるんですよね。単純に書いてあるから、ちょっと破綻きたすと。どう発音させるかでほぼ決まっちゃうから、まあ多少の修復は期待できるけど…後の祭り」
 「僕は音色を土台にして絵を描いているような所がある。僕が集中できるのは音色なんです。真理さんの(バッハ無伴奏チェロ組曲)CDを聴いたときストンと落ちました。こんな音だす人いるんだとびっくりした。(今回の新作の)半分くらいは(藤原氏の音の影響が)入っている」とやや興奮気味の早川氏。



いつも6、7人ものチェリストの「バッハ無伴奏チェロ組曲」のいろんなスタイルを聴き比べて作品に挑んでいるという。藤原氏はコンサートで「バッハ無伴奏チェロ組曲」を弾く前に、さまざまなスタイルで弾ける大きな可能性を秘めた曲と紹介した。
 早川氏も我が意を得たりと、「どんな解釈もできるという非常に開放的なすごい芸術だと思う。バッハ(の音楽)とは神がおとしてくれたような音色だから、絵画もそういうもののはずだし、そうあってほしい」
 前述の早川氏が発した「神が創った世界を模倣をしているのが絵画」というコメントに結びついたのである。

 藤原氏のチェロの生の音色を長年聴き続けている山田氏は、「早川さんのなんともいえない世界とふくよかな深みのある真理さんのチェロが合うなと思いました。絵と音楽は切っても切り離せないものなのかもしれない。音楽は後戻りできない時間の芸術。絵はずっと残っていく。時間の芸術と普遍性の芸術が一緒に(存在)するって素敵だと思う」とコンサートの感想を述べた。

 思い切って藤原氏に気に入った早川作品を聞いてみた。
 「事前に送っていただいたカタログで観てたけど、生の作品観て、全然インパクト違う。伝わってくる波長が違いますね」と藤原氏はまず全体の印象を述べる。
 一番気に入った作品は、偶然早川氏とツーショットで撮った時のバックになった作品「風景へ -2(Josette) ・ 2007」(2007-08) という茶色がかった崇高な女性像の作品を指した。
猫好きの藤原氏は、その次に好きな作品として、その作品の隣の早川夫妻の愛猫を描いた「眠るtoto-2」(2006)をあげた。


 早川氏の前回の2009年の個展以降の道のりだが、2010年12月にウィーンのアルベルティーナ美術館で開催されたミケランジェロの素描展を観て、創造のエッセンスみたいなものを与えられた。
 そこで頭を整理していたら、東日本大震災が起こり、自分の考えに疑問が起こり、悶々として、しばらく作品に取り組めなくなったという。しかし、この大規模な展覧会の開催が決まり、新作製作への大きな活力となったようだ。

 早川氏のたぐい稀な群れない強さはどこからくるのだろうか。
 「後ろに下がると落っこちるから、常に前進していく。いつも成功するかどうかわからないような賭けをしているのが本物の絵描きってもんでしょ」と早川氏はその強さの源を告白してくれた。
 「今回は皆さんの力を借りたね。皆さんから英気をもらい、最大最高の展覧会になった。一歩地固めした感じ。これを土台に一つ上の段階に行ける!」と最後に胸をはった。かたわらには、無名時代から生活面でも精神面でも異国の地で早川氏を支え続け、誰よりも早くその才能を見抜いた結子夫人が微笑んでいた。






この展覧会は、長野展の後、以下国内3箇所で巡回される。

長野展: 北野カルチュラルセンター 2015年6月4日〜6月28日 10:00-18:00 月曜休館
札幌展: HOKUBU記念絵画館 2015年7月16日〜10月4日 10:00-17:00 月、火、水曜休館
新潟展: 砂丘館 2015年10月30日〜11月29日 9:00-21:00 月曜休館・祝日の場合は翌日
酒田展: 酒田市美術館 2016年1月5日〜1月26日 9:00-17:00 月曜休館・祝日の場合は翌日





                     文責 馬場邦子 写真撮影 森岡純・馬場邦子



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