アメリカ野球の原点リトルリーグの魅力


長打を打った瞬間。
 春から夏にかけて、緑がまぶしい季節、あちこちのグラウンドで色とりどりのメジャーリーグのユニフォームをまとったリトルリーガーたちが、汗と泥にまみれて、グラウンドを駆け回る姿を見かける。かたわらの美しい芝生の上で、家族ぐるみでローンチェアにゆったりと腰掛け、自分の子供の一挙手一動を追う親たちの姿がある。真夏の炎天下、2時間から3時間もの間、子供たちがおりなすドラマを祈るような気持ちで見守る親たちも一喜一憂する。うちの家族もリトルリーグで活躍する2人の息子たちがいるが、主人は「どんな野球の試合より、自分の子供の試合を見る時の方が面白い!」と言う。それほどまでに、家族を巻き込むリトルリーグの魅力とは何だろう。

 アメリカのリトルリーグは、1939年ペンシルバニア州のウィリアムズポートが発祥の地で、カール・ストッツの発案で、2人の友達と共に3チームで設立。だんだん組織が大きくなり、1949年頃から、アメリカ中に広がり、現在のチーム数は約20万とも言われる。

 1955年頃から始まり、同じくリトルリーグの盛んな日本では、リトルリーグというと野球を本格的にやる子供たちが硬球をつかって鍛錬していく実力主義の場というイメージがある。しかし、アメリカでは子供たちは、近くのフィールドで小さな頃から気軽に硬球(正確には初心者は硬球よりやや柔らかい球から始める)に触れながら、お父さんコーチに教えてもらい、誰もが楽しく試合に参加できる。アメリカのリトルリーグは、父親、時には母親が自分の愛する野球を子供たちに伝えていく親子のふれあいの場であり、子供たちはまわりの大人たちに守られ、野球を通して、忍耐力、団結力、忠誠心を中心としたチームワークの大切さ、勝負の面白さ、スポーツマンシップなどさまざまなことを学んでいく。

 2人の息子たちが所属するリトルリーグを通して、私たち家族も地域のさまざまなアメリカ人たちと試合を一喜一憂し、彼等の子供たちに対する熱い思いを感じている。アメリカ人にとって、「スポーツは生活に根をおろす文化」と言われるが、「メジャーリーグ人気をささえ続けている大きな柱となるのが、リトルリーグのすそのの広さであり、それはアメリカ野球の原点そのものではないか。」と冷泉彰彦氏が「メジャーリーグの愛され方」(生活人新書149 NHK出版)という本で指摘しているが、まさしくその通りだと思う。その意味で、リトルリーグを体験することは、大げさかもしれないが、まさにアメリカ文化そのものを体験しているのではないかとさえ思う。

 息子たちは、シカゴ郊外バッファロー・グローブにあるバッファロー・グローブ・レクレーション・アソシエーション(通称BGRA)というパーク・ディストリクトとは別の大きなボランティア組織のリトルリーグに入っている。BGRAは、1960年に設立、現在2000人近くものプレイヤーをかかえ、1000人ものボランティアで組織されている。6歳(キンダ−ガーデン)のティーボールリーグから始まり、7歳(小学1年)がピントリーグと学年ごとにリーグが分けられ、15歳から17歳 (高校生)のコルトリーグ、17歳以上のアダルト対象のシニアコルトリーグまである。ピントリーグの次のファームリーグから、プロ野球のようなドラフト制で、2月の終わりに前年度の打率や投球内容などの成績を見ながら、監督が子供たちを1人1人引き抜いてチーム編成をする。毎年この頃は、どんな監督のもとで、どんなチームに入るのか、親子でわくわくしながら待っている。

 監督以外にチームのメンバーの保護者の2、3人ぐらいがアシスタントコーチとなり、3月末から練習が始まり、4月の終わりからディビジョン(総当たり戦)が始まり、ウイークディ1回、ウィークエンド1回ずつのペースで試合が6月末まで続く。6月の終わりに各リーグで、チームメンバー投票で選ばれた選手がでるオールスター戦が1日あり(下のリーグは監督推薦)、それ以降は、ファームリーグ以上のリーグは、ディビジョンの成績にもとづいてトーナメントがあり、7月初旬に優勝チームが決まる。このトーナメントが曲者で、必ずしもディビジョンの成績を反映しないので、目が離せない。今季長男のリーグで実際に起こったことだが、ディビジョンで5勝11敗の弱かったチームがそのディビジョン優勝の11勝5敗のチームに一回戦で0対9のスコアをひっくりかえして大逆転で勝つというようなことも起こるから、プロ野球と同じでリトルの野球に熱狂する親たちの気持ちも理解できよう。

 現在7歳の次男は去年、ティーボールにデビューした。ちょっと大きめのヘルメットをかぶり、コロラド・ロッキーズのユニフォームを着て、芝生の上にたてたティーの上の静止したボールを思いっきり打ち、グラウンドを駆け回る姿が愛らしい。このくらいの子供たちは、まだボールをうまく捕れないので、誰もが必ず塁にでてスコアをあげられる。5点はいったら、攻撃をチェンジし、6回で終わり。遊びながら、野球に親しんでいくという感じだ。

「チームの目標は、来年子供たちがもう一度プレーをやりたいと思うぐらい野球を楽しむこと」とコーチたちが最初に宣言していたように、コーチたちは子供たちをほめながら指導するので、子供たちもどんどん目に見えてうまくなる。

ティーをたてて、打つ可愛らしいティーボール。
「おうりゃ あ !」と威勢良く足もあげて、
ティーボールにデビューする息子。

 ロッキーズのメンバー10人に対して、熱心なお父さんコーチはなんと6人もいた。空振りしても、「グッドスウイング!」ボールを暴投しても、「グッドトライ!」と親たちの必死の声援がとぶ。球をうまく捕ったり、走者をアウトにしようものなら、「グレイトキャッチ!」「グレイトプレー!」と大声援。上のリーグと違って、親たちも勝負にこだわらず、ピクニック気分で談笑しながら、和気あいあいの雰囲気。ティーボールやピントのような下のリーグは、親たちの貴重な交流の場にもなっている。チームには、1人だけ可愛らしい女の子がいて、熱狂的なホワイトソックスファンの家族が、彼女を応援していた。

 5月の終わりごろから、打ちやすい球をコーチが投げて、子供たちが打つ。4,5球空振りしても、その後またティーに置いて打つので、三振はない。次男は、シーズン前は野球のルールがまったくわからず、心配していたのだが、打ったら必ず塁を走り回れることで面白くなり、他の子のプレーを見ながら、ボールを捕り塁に投げるようになった。そして、ちょっとでもやる気のあるプレーをすると、コーチたちが必ず「グレイトプレー!」とほめてくれて、「少しずつうまくなっている」と励まし続けてくれた。

 次男の2年目の今年は、ピントリーグ。去年のロッキーズの監督だったコーチ・アルが元ロッキーズから6人も獲得し、次男もその1人にはいり、ヤンキース背番号「55番」をゲットすることができた。チームのお父さんのはからいで、味わい深いブルーの帽子にも、「BABA 55」と白のミシン目がはいっている。いよいよこのリーグから、最初からコーチの投げる球を打つ。打ちやすい球を投げてくれるから、三振しながらヒットもでる。5月の終わりから子供たちが投げる。投げ込んでいる子の球は、結構速くてなかなか打てない。まだコントロールが定まらないから、フォアボールも多い。硬球に近い柔らかいボールなので、デッドボールでも、体にあたる衝撃も小さい。フォアボールになったら、残りのストライク分だけコーチが投げる。こうして、ただ楽しいだけのティーボールから、時には打てないくやしさも味わいながら、徐々にルールを覚え、ステップアップしていく。

 現在12歳の長男は、このピントリーグからリトルを始めたのだが、アメリカに来てすぐに野球のチームに入ったので、英語もわからないままどうなるかと思ったが、「日本人ならうちのマリナーズで引き取るしかない。」という良心的なコーチがいて、長男もイチローを気取って、見ようみまねで楽しくリトル初体験ができた。

 しかし、次のファームリーグで、勝つことに徹する厳しい監督のチームに引き抜かれ、その監督が最初のペアレント・ミーティングで、「このリーグからコンペティティブになる!」と宣言。このリーグから、硬球を使い始め、豪速球の投手(この監督の息子)も現れ、長男は、アメリカ人のレベルの高さに辛苦もなめさせられたが、結果的にディビジョンもトーナメントも優勝というチームとして勝つ面白さを初めて学び、野球に本格的にのめり込んでいった。

 試合では、1チーム10人から11人のメンバー全員が打順に立ち、守備は各ポジションを回りながら、ベンチも交代で座るので、初心者でも必ずチャンスが与えられる。子供たちは試合に参加しながら、実践でさまざまなシチュエーションを体で学んでいく。

 リーグが上がるごとに、少しづつピッチャーが投げる距離やベース間の距離がのび、投球数や投球回数も厳しく定められ、盗塁も各リーグでいつしていいかが決まっている。その年齢に応じた野球が、少しづつレべルアップしていき、体に負担のないように細かくルールが設定されている。勿論、上のリーグになるにつれ、子供たちの守備もうまくなる。上の息子が今季所属した11才、12才混合のサラブレッドリーグから、ランナーはいつ盗塁してもよくなるので、本物の野球らしくなり、見ていてますます面白い。

 試合でいいプレーをした子供には、監督から日付と「ゲームボール」と書いたボールがもらえる。泥にまみれた網目のあるゲームボールを見るたびに、「ああ、あの暑い運動会でくたくただった日に、大きなヒットを打って活躍したんだっけ。」と親子でその日のことを懐かしく思い出す。息子の宝物だ。

 長男は、9才のムスタングリーグぐらいから、冬の間ファンダメンタル・ベースボールのクリニックに通ったり、バッティングケージなどで練習をこつこつ積み、シーズンの最初が下位打順でもヒットを重ね、じょじょに打順を上げ、チームの主軸に治まるようになった。サラブレッドリーグから、ピッチャーもやるようになり、毎年リトルでプレーするのが生きがいになっている。この地域で野球をするのは圧倒的に白人系のアメリカ人の子供が多く、野球は拘束時間が長いせいか、サッカーなどに比べるとアジア系とくに日本人は少ない。長男は日本人で目立つのか、いろんなコーチや子供たちに顔を覚えられ、毎年各試合で顔を合わせたとき、お互いのプレーの成長と再会を喜び合っている。

 長男は、今まで6シーズンさまざまなチームに所属してきたが、そのたびに個性の強い監督やアシスタントコーチ、チームメートたちに出会った。なにがなんでも勝つことを優先して、ポジションも打順も固定して、チームを優勝に導いた豪腕の監督。打順もポジションもよく変えて、必ずしも勝つことにこだわらず、どうしたらベストなチームができるか悩み続けていた監督。最初から、とくに守備に力を入れ、クールにふるまっていた監督。投打がかみ合わず、イライラも高じて、自分の子供に感情的になっていた監督。監督とはいえ人の親だから、どうしても自分の子供を優先していい打順やピッチャーで起用しがちになる人もいる。毎年、各チームで監督のやり方に不満を持つ親もでてきて、自分の子供をかかえたチームで監督をするのがどんなに大変か、私たちには伝わってくる。


ピントリーグ、ヤンキースの
マシュ−君の果敢なプレー!
 その中で、次男のチームの監督を2年したコーチ・アルは、的確にチームの子供たちの実力を把握していて、みんなが納得する起用を公平にし、その指導も独特のユーモアを交えて、子供からも親からも絶大な人気と信頼があった。ピッチャーは5人のできる子供たちがやり、最後の2試合で、やっていない子供たちにも1イニング投げるチャンスをくれた。おかげで、次男も「ピッチャーをやった」という自信につながり、来年は「ストライクを投げれるピッチャーになるために練習する。」と言っている。

 コーチ・アルは、高・中学生の2人の自分の子供たちのチームの監督やアシスタントコーチをずっと続けてきたベテランである。去年のティーボールの時に、プレーがかなりうまいアメリカ人の子供たちを見て、息子とのレベルの差にびっくりしていた私に、「それぞれの子供たちの体の成長や技術のレベルが違うから、その子なりに成長していけばいい。まずはスポーツを楽しんでやる気にさせるのが一番。5、6年後に体の成長と共に、技術も追い付いて来る。」と励ましてくれた。今年、「いまだになぜ3人目の末っ子のチームの監督を毎年やるのか。」と聞いたら、「子供たちが、たとえばボールを捕れるようになったり、一つづつプレーができるようになるのを見たり、子供たちが夢中になってプレーしている姿を見るのがたまらなくうれしい。それが自分にとって無形の報酬だし、与えた以上のものが返ってくる。」と微笑みながら、力強く言っていた。そんな心優しいアルの中にアメリカ人の理想の父親像を垣間見たような気がして、うれしくなってしまった。

  ただ、コーチ・アルも含めて、アメリカ人たちが心配しているのは、「タイガー・ウッズ・シンドローム」と呼ばれる、未来のタイガー・ウッズを夢見て、子供たちを小さい頃から徹底的に訓練し、勝ち負けにこだわり、スポーツ漬けにする傾向の親たちがここ数年増えているということ。大学に入るのに、スポーツでスカラシップをとり、あわよくばメジャーの道へと夢見る親たち。トラベルチームに入ってしまうと、金曜から週末にかけて泊まりがけで遠くのフィールドまで行き、1日に数試合をこなすというハードな日々で、家族との団欒の時間もなくなってしまう。そんな生活を小さい頃から続けていくと、高校生ぐらいの時期にバーンアウトしてやめたり、ドラッグやお酒に走ってしまう子供たちもいるという。2001年のナショナル・アライアンス(若者のスポーツに関する)の統計によると、13歳までに70%の子供たちが、やってきたスポーツをやめてしまうという。2年前、長男のチームの監督が、その傾向を危惧する何本かの記事のコピーを親たちに配り、警告していた。シカゴ・トリビューンの記事(2006年7月30日付け、セクション13)によると、小学生の子供たちが、一つのコンペティティブなスポーツで専門的に訓練し、その結果体の一部を酷使しすぎて、靭帯の損傷や肩をこわすなど大人のアスリートがやるような怪我が増えているという。

 見ている親達が試合にヒートアップして、応援で対戦相手の子供たちをきつい口調でなじったり、審判の判定をめぐって、コーチ同志が言い合いになり、暴言をはいて、帽子をたたきつけたりして、けんかになったりもする。親もコーチも自分の感情をコントロールするのが、大変だが、決してこのようなことがあってはならない。

 ただ、BGRAでは、どの監督もコーチも子供たちに野球の楽しさ、面白さを伝えようとする熱意は変わらない。そして、さまざまなお店がBGRAのスポンサーとなり、そのお店には各リーグから1チームぐらいづつのチームフォトがきれいに飾られている。シーズン終了後のチームパーティーは、これらのお店を利用して、監督が1人1人の子供のプレーを称え、全員にトロフィーが配られる。

 各チームのメンバーの親たちもボランティアでメインのフィールドのコンセッションスタンド(売店)で、売り子をして資金を作ったり、(アメリカ人とわいわいやりながら売るので、結構楽しい)ゴミそうじをしたりして、子供たちが野球が気持ちよくできる環境を整えている。

試合の後のラインナップで、必ず対戦チーム
全員と握手をして 、健 闘を称え合う。
 
 地域を巻き込んで子供たちを保護し、育んでいくという姿勢がアメリカらしい。そんな素晴らしい環境を作り上げてくれたアメリカ野球の原点、リトルリーグで息子たちがプレーできることに、感謝あるのみだ。

 BGRAのトーナメントが終わり、リトルのシーズンは一段落だが、野球好きの子供たちのために、「ワールドシリーズ」という大げさな名前のついた2週間強の夏の短期集中リーグが7月終わりまである。うちの長男もこのシリーズでいきなり特大の初ホームランがでて、現在活躍中である。

 毎年、8月にリトルの発祥の地ウィリアムズポートで、リトルリーグ代表による世界選手権(ワールドシリーズ)が行われる。今年は8月17日から26日までで、米国グループ、国際グループ各8代表の計16代表が参加する。世界で勝ち抜いてきたリトルリーガーたちの勇姿がテレビで見られる。日本は、1967年に初めて西東京リーグが優勝して、6度世界一になっている。


ピントリーグのヤンキースの仲間達とコーチ・アル。


記事・写真:馬場邦子


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